石垣山城 2019.4.13 [神奈川県]
2019年4月13日(土)、快晴。今日は、小田原市の石垣山城と沼津市の興国寺城を目指す。まず、こだま643号で小田原駅10時1分着(途中下車)。10時24分発のJR東海道線で10時26分早川駅着。ここから石垣山(標高262m)まで、箱根ジオパークのパンフレット(小田原駅観光案内所で入手)のコース地図をガイドに歩いて行く。登り道は、石垣山農道となっており緩やかな登りで、途中8カ所に、1590年の小田原合戦の際、石垣山に参陣した武将たち(武将6名+千利休+淀殿)の案内板がある。
①石垣山城の近くにある秀吉の案内板。11時4分頃到着。
石垣山城は、1590年に豊臣秀吉が北条氏の小田原城を包囲攻略するため、秀吉本営として築いた総石垣造りの城である。築城の指示は4月6日、5月14日頃には石垣が完成し、6月26日に本陣を移したとのこと(「小田原城天守閣展示案内」より)。7月5日に北条氏は降伏したが、出土瓦には天正19年(1591年)というヘラ書きがあることから、その後も築城は続行していたらしい(前掲同書)が、いつ頃廃城となったか不明。
②登ってきた道の右側に南曲輪の石垣が見える。近づいて東南隅角部を撮影。巨石が使われている。石垣には箱根火山の溶岩(安山岩)を利用。
③南曲輪への虎口。崩落した石垣が散らばっている。歩行に注意。
④本丸東虎口を通って本丸へ。
⑤本丸東側から小田原城を眺望。画面の中央に小田原城天守が見える。
⑥本丸南西隅の天守台。石垣は崩落している。
⑦二の丸から本丸北虎口を撮影。画面左側が本丸である。枡形虎口の形状となっている。
⑧北虎口から本丸北側の石垣を撮影。残存状態が良い箇所もある。
⑨二の丸から本丸北側を撮影。
⑩二の丸の北にある井戸曲輪へ。石垣山城最大の見所である。すり鉢状の底まで降りて行く。残存状態の良い石垣で囲まれており圧巻。
⑪二の丸東側石垣も残っている。
12時10分過ぎに早川に向けて下山。早川駅発12時49分で小田原駅に戻り、13時28分発こだま655号に乗車し、次の目的地、興国寺城を目指す。ところで、電車に乗ってから、続日本100名城のスタンプを忘れていたことに気づいた(駐車場のトイレ前にあるとのことだった)。
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