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月山富田城 2017.4.2 [島根県]

戦国時代、山陰・山陽11ヵ国を制した尼子氏の本拠地である月山富田城を訪れたのは、2017年4月2日(日)のこと。松江城を訪れた翌日、松江駅発7時58分のJRスーパーまつかぜ4号で安来駅8時14分着。まず、足立美術館に専用バス(安来駅8時50分発→美術館9時10分着)で短時間ながら立ち寄る。足立美術館は日本庭園と横山大観をはじめとする日本画コレクションで有名(観光バス客が多い)。ここから月山富田城へは、安来市広域生活バス(イエローバス)を利用(200円/回)し、美術館前(前というより脇)10時47分→11時1分月山入口(乗客は私一人)。バス停の月山入口には、安来市立歴史資料館(直近の情報では月山富田城復元ジオラマが展示されている)と広瀬絣センターがある。ちょうどその日は「ひな流し」イベントが近くの河川敷で開催中で賑わっていた。登城路は、「お子守口」ルートで、坂道を登り、中腹に配置されている千畳敷→太鼓壇→花の壇という曲輪を通って行く。

①花の壇から撮影した月山富田城山頂部。

月山富田城002花の壇 (3).jpg

安来市では月山富田城整備を2015年度~2019年度に実施されており、山頂部の樹木が伐採され眺望が良くなっている。城は、1566年に尼子氏が滅びた後、吉川広家が改修、1600年関ヶ原の戦い後、堀尾吉春・忠氏が城主となり改修したが1611年に松江城に移り廃城となった。

②山中御殿(さんちゅうごてん)。花の壇から堀切を越えて進んで行くと山中御殿という曲輪に達する。山頂へ通じる七曲りの麓にあり、居館として使われていた曲輪。残っている石垣は堀尾氏時代のものとされる。

月山富田城004山中御殿成 (3).jpg

③山中御殿の「菅谷口」ルート入口。山中御殿北側の入口で、石垣の残存状態は良い。堀尾氏時代のものとされる。

月山富田城006山中御殿東側 (2).jpg

④山頂への登り道「七曲り」。かなりの急勾配だが、高齢者の方も結構登られていた。下の平地が山中御殿。

月山富田城011七曲り (2).jpg

⑤山頂部の北西端にある三の丸。山頂部に三の丸・二の丸・本丸が南東方向へ細長く連なる。

月山富田城014三の丸 (3).jpg

⑥三の丸の奥にある二の丸を本丸側から撮影。二の丸と本丸の間は大きな堀切で切り離されている。

月山富田城016二の丸 (2).jpg

⑦二の丸から本丸を撮影。本丸の奥に勝日高守(かつひたかもり)神社がある。

月山富田城017本丸 (3).jpg

帰りもイエローバスを利用(私以外の乗客は地元の方々だったと思う)、月山入口13時9分→安来駅14時。特急やくも11号で松江駅へ、出雲空港から帰途についた(月山富田城メインならば米子空港の方が近い)。

月山富田城滞在は2時間8分、規模が大きいので各所を見て回る時間は足りなかった。月山富田城の特徴は、中腹の比較的広い曲輪群と山頂部の曲輪群(詰城)に分かれていること、残っている石垣は吉川氏・堀尾氏時代のものとされる(尼子氏時代のものは土塁なのだろうか)こと。

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