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福岡城 2019.10.22 [福岡県]

関ヶ原の戦い後、黒田長政によって築城された福岡城は、1957年の国史跡指定当時、本丸には国立病院、南ノ丸には戦災復興会(その後、西日本短期大学)、三ノ丸には平和台球場・平和台陸上競技場・裁判所・福岡大学等々の公共・文教・スポーツ施設等が立地していたが、その後、施設の城外移転が徐々に進み、福岡市では「福岡城跡整備基本計画」を策定し2014年度から2028年度までの15年間で史跡全体の史跡公園化整備を進めている。

今回、福岡城を訪れたのは2019年10月22日(火)のこと。福岡空港へ12時10分着、地下鉄空港線で12時46分発→赤坂12時59分着。赤坂駅から西方向へ歩いて行くと、三ノ丸北側の堀、そして上ノ橋御門に出る。

①上ノ橋御門跡。石垣は近年修理されている(橋を渡ってすぐ右折する道路は後世のもの)。枡形形式だが、入口に高麗門はなく左折して櫓門をくぐる形式。現状、本来の登城ルートには旧裁判所施設が残っており、左折後、右折して鴻臚館広場(平和台球場跡地)に出るしかない。将来的には、本来の登城ルートが整備され櫓門の復元が計画されている。

福岡城002上之橋御門.jpg

鴻臚館広場の西端に福岡城むかし探訪舘(無料)があるので立ち寄る。映像上映、福岡城復元模型・武具等の展示を行っており、ガイドマップ等のパンフレットを入手できる。

②二ノ丸東御門跡。ここから二ノ丸へ入る。

福岡城007二の丸東御門.jpg

③本丸表御門跡。表門は福岡市内の崇福寺(黒田家の菩提寺)山門として移築されている(現存)。

福岡城010本丸表御門.jpg

④本丸北東隅の祈念櫓台。祈念櫓は、移築されていた北九州市の大正寺から1984年に再移築されが、2019年5月~2021年9月まで石垣保存修復工事のため、現在、建物は分解・格納保管されている。

福岡城011本丸祈念櫓台.jpg

⑤天守台北面。画面右から大天守台、中天守台、小天守台と続く。ちょうど草刈り中だったが、やはり冬場でないと雑草に覆われてしまう。築城当時、天守建物があったのかなかったのかは不明。大天守台へは、鉄御門跡から入り、階段を上る。

福岡城012天守台北面.jpg

⑥大天守台内部。大きな穴蔵構造となっている。

福岡城019大天守台穴蔵.jpg

⑦天守台取付口にある埋門。埋門を通って武具櫓跡(中期的には復元の計画あり)のある天守台南側に行こうとしたが、草刈り中のため立ち入れず。本丸西側にある裏御門跡から本丸を出て南ノ丸へ。

福岡城021天守台埋門.jpg

⑧南ノ丸多聞櫓と南端の隅櫓(重要文化財)。多聞櫓の北端にも隅櫓(復元)がある。隅櫓は切妻屋根に特徴がある。桐ノ木坂御門跡から出て南ノ丸の外周を回る。

福岡城029南丸多聞門櫓南隅櫓.jpg

⑨南ノ丸多聞櫓と北端の隅櫓を西側石垣下から撮影。

福岡城032南丸多聞櫓北隅櫓.jpg

さらに、本丸東側外周(現、野球場・球技場)を通り、二ノ丸を通り抜けて二ノ丸松ノ木坂御門跡から坂を下り、しばらく北に歩き、移築された旧母里太兵衛邸長屋門、名島城城門に立ち寄る。さらに、北に歩くと、伝潮見櫓・下ノ橋御門へ。

⑩伝潮見櫓・下ノ橋御門。伝潮見櫓は、黒田家別邸に移築され潮見櫓と伝承されていた櫓を1956年に現在地に移築されたものだが、近年の調査で崇福寺仏殿に移築され現在は部材保管中のものが潮見櫓と判明したため、この櫓の本来の名称は?(本丸太鼓櫓の可能性ありとのこと)。現在、部材保管中の潮見櫓は、本来の三ノ丸北西隅に復元される計画。下ノ橋御門は2008年に復元(一階部分は残っていた)されたもので、切妻屋根である。

福岡城051伝潮見櫓・下之橋御門.jpg

福岡城滞在は2時間程度で城外へ。将来、計画通り史跡公園として整備されれば、城跡としての景観が一層楽しめると思う。地下鉄空港線で赤坂駅15時12分→博多駅15時20分、15時31分発JR特急みどり17号(長崎本線)で次の目的地の佐賀城へ向かう。

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