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佐賀城 2019.10.22 [佐賀県]

佐賀城は、龍造寺氏の村中城を鍋島直茂・勝茂が拡張・整備したもので1611年に完成した平城である。近年、佐賀県立佐賀城本丸歴史館として本丸御殿を復元するなど整備されているのは、堀に囲まれたほぼ正方形の城跡全域のうち南東部分の本丸周辺部である。

佐賀城を訪れたのは2019年10月22日(火)、博多駅15時31分発JR特急みどりで佐賀駅16時16分着。市営バスで佐賀駅バスセンター16時23分発→サガテレビ前16時31分着、本丸通りを南に少し歩くと本丸北側の天守台と鯱の門が見えてくる。

①天守台と鯱の門。手前の芝生は本丸北西部分堀跡を芝生化して表示したもの。

佐賀城001天守台・鯱の門.jpg

②天守台へ上るのは後回しにして、本丸西側石垣に沿って南に歩いて行くと近年復元された本丸南西隅櫓台に達する。南堀を横切る本丸通りから本丸南西隅櫓台を撮影。白と黒の切石による亀甲乱積みとなっている。本丸南側(画面右側)は土塁が続いている。堀幅もかなり広い(約70mあるとのこと)。

佐賀城002南西隅櫓台 (2).jpg

③元に戻り天守台へ上る。天守台から入口階段のある天守台付櫓台を撮影。天守台への登り口は鯱の門の外側、つまり、本丸の外=二ノ丸側にある変則的構造である。天守建物は1726年に火災で焼失した。

佐賀城007天守台西取付台.jpg

④天守台から南方向の本丸内部を撮影。画面右は本丸西石垣の内側で土塁造りとなっている。建物は復元された本丸御殿。

佐賀城005天守台より南方向.jpg

⑤鯱の門及び続櫓(画面左側が続櫓)。1838年の本丸御殿再建時に造られた本丸入口で重要文化財に指定されている。

佐賀城013鯱の門.jpg

⑥鯱の門の本丸内側。画面右下に番所が付いている。

佐賀城014鯱の門内側.jpg

⑦2004年に復元された本丸御殿(佐賀城本丸歴史館)の玄関・式台。もとの本丸御殿は、幕末佐賀藩で先端的近代化を進めた10代藩主鍋島直正(なおまさ、号は閑叟かんそう)により1838年に再建されたもの。明治維新後は、藩庁、県庁、裁判所、学校として使用されたようだが、大正時代に玄関・式台等の部分は解体され部材は佐賀市内の龍泰寺本堂等として利用されたそうだ(現存)。御座間(ござのま:藩主の居室)部分は郷土館として残っていたが、1958年に大木公園に南水会館として移築された後、本丸御殿復元に伴い本来の位置へ再移築・復元されたそうだ。なお、佐賀城本丸歴史館の入館料は無料、幕末維新期の佐賀がメインテーマ。

佐賀城018本丸御殿玄関.jpg

佐賀城本丸跡は、ほぼ正方形で防御構造(縄張)面からはさほど面白くはないがコンパクトに纏まって整備されている。次の目的地:名護屋城に向かう必要からあまり散策できず佐賀城滞在は1時間で切り上げる。博物館前17時23分発→佐賀駅バスセンター17時38分着、佐賀駅17時48分発JR唐津線で唐津駅18時56分着、唐津で宿泊。

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