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八王子城 2019.12.28 [東京都]

高尾山の北に位置する八王子城。城の構造は、麓の居館地区と山頂の要害地区に分かれ、さらに外郭ラインの詰城地区、太鼓曲輪地区に広がっている。北条氏照が築城し1587年頃までに滝山城から居城を移し、1590年の豊臣秀吉による小田原北条氏攻略に際し落城、廃城となった。1986年度から始まった八王子市による居館地区の発掘調査により、虎口(出入口)部分からは石垣・石敷・石段等が、御主殿曲輪部分からは建物礎石・庭園跡・遺物等が見つかり、1989年度からは虎口の石垣復元整備、冠木門復元、曳橋設置など整備が進められ、歴史的景観がよみがえった。

八王子城を訪れたのは2019年12月28日(土)のこと。JR高尾駅10時16分着、高尾駅北口のバス乗場から宝生寺団地行き(西東京バス)10時25分発→霊園前・八王子城跡入口10時30分下車。ここから左折(西方向)し20分程度歩くと、ガイダンス施設に着く。ここには復元ジオラマなどが展示されている。さらに西に進み管理棟を過ぎたあたりで城山川を渡り、大手門跡、古道を経て、御主殿曲輪へ入るための曳橋に至る。

①現在の曳橋。曳橋を渡りきったところを右折すると左上に向かって虎口階段がある。

八王子城006曳橋.jpg

②復元整備された虎口階段。両側が石垣で囲まれているのは太田金山城の大手道同様で、安土城の大手道を参考にしたとの説もある。途中の石敷踊場には門跡(礎石4個)があり、門の下は枡形構造となっていた。

八王子城016虎口階段.jpg

③虎口を通り、御主殿曲輪内部へ。御主殿など建物の礎石、庭園遺構などのほか、会所跡は床部分が復元されている。会所床西端より虎口の復元冠木門方向を撮影。

八王子城026御主殿より.jpg

④西端石垣遺構。会所跡からさらに西方向へ林の中の小道を進むと御主殿曲輪の西端を区切る石垣遺構がある。

八王子城022御主殿西石垣.jpg

⑤会所跡に戻ると、御主殿曲輪北西上の四段石垣方向へ向かうボランティアガイドに連れられた一行がいたので合流させてもらい、四段石垣へ(ガイドなしでは立入禁止)。足下には石垣にも使われている硬質砂岩の破片が散らばっており歩きにくい。一段目の石垣群を撮影。これらの石垣群は御主殿曲輪を土石流から守るために築かれたとのガイドさんの説明。

八王子城030一段石垣.jpg

⑥御主殿曲輪に引き返し、ガイドさんの案内で曲輪東端の竪堀へ。竪堀の石垣を撮影。

八王子城043御主殿東竪堀石垣.jpg

⑦山上の要害地区へ。中腹でガイドさんに金子曲輪東側の石垣遺構を案内してもらうが、滑落の危険があるため中止。今年の台風影響で足場がなくなっているようだ。次いで柵門跡東側の石垣遺構を案内してもらい、これは見ることができた。柵門跡東側の石垣を撮影。

八王子城047柵門東石垣.jpg

⑧小宮曲輪下の南東に開けた登山道からの都心方向の眺望。八王子神社を経て城山山頂(深沢山:標高460m)の本丸へ。このあと、下山するガイドさん一行と別れて、南に眺望のきく松木曲輪で昼食。

八王子城052小宮曲輪下眺望.jpg

⑨昼食後、西の詰城へ向かう。本丸下の井戸を経ていったん下り、「馬冷し(こまびやし)」と呼ばれる堀切から登りとなる。馬冷し堀切を撮影。

八王子城060馬冷し堀切.jpg

⑩詰城。山道を登り切ったところが、現在は詰城と呼ばれているところ(標高479m)。頂上部は小さな曲輪となっており、北尾根上に石塁が続いているらしいが、14時前なので深追いはやめて引き返す。

八王子城065詰丸.jpg

下山口は管理棟の後ろだが、今年の台風で橋が崩落しているため迂回臨時通路から管理棟の後ろへ出る。滞在時間4時間、14時42分発のバスで帰路についた。ガイドさんの案内で貴重な石垣遺構を見ることができ感謝します。それにしても毎年強まる台風や集中豪雨で石垣の崩落が危惧される。

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