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勝連城 2020.1.13 [沖縄県]

2020年1月13日(月)、中城城の次に向かったのは勝連城(かつれんじょう)。北中城村のバス停「仲順」まで30分ほど歩き、「52屋慶名BT行」バスで定時15時18分(実際15時25分)発→「勝連城跡前」定時15時54分(実際16時5分)着で下車。バス停のすぐそばに勝連城跡休憩所がありパンフレット入手、城復元模型・出土遺物の展示を見ることができる。休憩所から道路を横断し、丘を登って、まず、四の曲輪へ。

勝連城は、うるま市の太平洋側に突き出た勝連(または与勝)半島の小高い丘(標高98m)にあり、12~13世紀頃に築城され海外貿易の拠点として栄え、15世紀に城主となった阿麻和利(あまわり)のもと最盛期を迎え、1458年には中城城の護佐丸を倒したが琉球国王軍との争いに敗れ滅ぼされてしまい、廃城となったようだ。近年、発掘調査・整備事業が進められ美しい歴史的景観となっている。

①四の曲輪から三の曲輪南東側城壁を撮影。城の南東低地にある四の曲輪の城壁はかなり失われているようで、入口の西原御門(にしはらうじょう)・南風原御門(はえばるうじょう)の痕跡はなさそうだが、三の曲輪に連なる登り城壁は残っている。四の曲輪内には5カ所の井戸が残っている(うち2ヶ所は御嶽)。

勝連城036四の曲輪より (2).jpg

②三の曲輪への上りライン。四の曲輪から三の曲輪へは城壁に沿って右下から左上に上る石畳+石階段となっている(現在、石畳部分には木製階段が取り付けられている)。一の曲輪への上りも同様の構造で防御システムとなっているようだ。

勝連城007三の曲輪へ (2).jpg

③三の曲輪入口。礎石から木造の四脚門があったとされる。

勝連城010三の曲輪入口内側.jpg

④二の曲輪への石階段。三の曲輪から二の曲輪へは、直線の石階段が3ヶ所あり、これは右側の2つ。二の曲輪には御殿があり、三の曲輪はその前庭部となっていたとされる。

勝連城026二の曲輪石段 (2).jpg

⑤二の曲輪建物礎石。御殿があったとされる。首里城正殿のようなものをイメージすればよいのだろうか。

勝連城024二の曲輪内部.jpg

⑥三の曲輪から一の曲輪南東側城壁を撮影。三の曲輪西側から一の曲輪に連なる登り城壁が勝連城の特徴の一つである(四の曲輪から三の曲輪に連なる登り城壁と同様構造)。

勝連城011三の曲輪から.jpg

⑦一の曲輪への石階段。二の曲輪から一の曲輪へは三の曲輪への上りと同様に右下から左上に上るルートで、最後は段々幅が狭まる石階段となっている。一の曲輪の入口は、アーチ門だったとのことだが失われている。

勝連城015一の曲輪への石段.jpg

⑧一の曲輪から北西方向の眺望。ここからはさえぎるものがなく四方への眺望が素晴らしい。

勝連城021一の曲輪北西方向.jpg

勝連城滞在時間は約1時間で、17時に退城し、バス停「西原」まで5分ほど歩き、「27那覇BT行」バスで定時17時15分(実際17時20分)発→「安慶名」17時30分(実際17時35分)着、「77名護BT行」バスに乗り継ぎ定時17時55分発予定の所、遅れていた定時17時22分(実際17時45分)発→「名護BT」定時18時54分(実際19時15分)着。名護で一泊し、翌日、今帰仁城へ。

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