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今帰仁城 2020.1.14 [沖縄県]

今帰仁城(なきじんじょう)は、沖縄本島北部から東シナ海に突き出た本部(もとぶ)半島北東部の丘陵上にあり、13世紀末頃に築城され、琉球王国統一前の三山時代には山北王の居城だった。1416年に中山王に滅ばされた後は派遣された監守の居城となったが、1609年の薩摩軍侵攻後は廃城となった。

2019年1月14日(火)朝、名護バスターミナルで1日周遊パスを購入し、「66本部半島線(今帰仁廻り)」バスで8時15分発→「今帰仁城跡入口」8時56分着(実際9時5分)。バス停から15分ほど車道沿いの歩道(カンヒザクラがちらほら咲いている)を南方向に登って行くと今帰仁村グスク交流センターが見えてくる。ここで入城チケット400円を購入(今帰仁村歴史文化センター利用と共通)。まず、城の北西側に広がる外郭から。

①外郭東側。画面左に蛇行しているのが外郭城壁で高さは2m前後と低い。中央部分が失われているが、両翼は残存している。画面中央の石積は発掘調査で見つかったもので建物の基壇とのこと。

今帰仁城004外郭 (2).jpg

②平郎門。外郭から城内に入る正門で1962年に修復されたもの。左右に長方形の狭間がある。門の天井は大きな一枚岩を用いている。

今帰仁城010平郎門.jpg

③大隅(ウーシミ)北西側城壁。平郎門の左側(東側)は大隅という郭でカーブを描く高い城壁に囲まれている。城壁の石材はこの丘陵から採石された古期石灰岩で灰色で硬いのが特徴という(中城城などの白色で軟らかい琉球石灰岩とは異なる)。石積みは野面積み。

今帰仁城014大隅城壁 (2).jpg

④平郎門から大庭(ウーミャー)への参道を大庭側から撮影。この通りは近現代に参道として整備されたもので、カンヒザクラの名所。まもなく桜祭り。

今帰仁城021平郎門からの通り.jpg

⑤旧道。本来の登城道はこちら。1980年の発掘調査で石敷きの小道が見つかった。

今帰仁城023旧道.jpg

⑥大庭。広場を中心に一段上(東)が主郭で中心的な建物があり、南北に南殿・北殿の建物が配置されていたとされる。

今帰仁城027大庭.jpg

⑦御内原(ウーチバル)から大隅をめぐる城壁(北方向)を撮影。大庭の北側、御内原は城内の最高所(標高100m)で眺望がすばらしい。御内原には女官部屋があったとされ、現在はテンチジアマチジという御嶽がある。

今帰仁城029大隅.jpg

⑧主郭。発掘調査によって何層もの石積・建物跡が見つかり、13世紀末から17世紀初めまで機能していたとされる。廃城後は、火神(ヒノカン)の祠(画面右端)が設置され、祭祀を行う場として利用されている。

今帰仁城044主郭.jpg

⑨志慶真門(シゲマジョウ)郭。主郭から南に下ったところにあり、発掘調査によって掘立柱建物跡が見つかった。門自体は崩れて失われている。城内の生活用水確保のため下の志慶真川からこの郭へ水揚げしていたとされる。

今帰仁城035志慶真門郭.jpg

最後に歴史文化センターに立ち寄り、出土遺物等の展示を見学し、ガイドブックを購入。今帰仁城滞在は約2時間で11時10分頃退城し、次の目的地:座喜味城に向けバス停に向かった。

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