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浜松城 2020.2.11 [静岡県]

2020年2月11日(火)、浜松城→鳥羽山城・二俣城→掛川城をめぐる一日旅に出かける。まず、東京駅発9時3分発ひかり465号で浜松駅10時30分着。駅から西へ進んだ後、かつての大手道(大手通り)を北に歩き、浜松市役所の西側に進むと、浜松城天守曲輪が見える(徒歩20分程度)。

浜松城は三方ヶ原台地の東縁の河岸段丘上に位置し、徳川家康が1570年に岡崎城からこの地に居城を移した際、前身の引馬(曳馬)城から浜松城に改称し城域を拡張・整備したが、現在残る石垣造りの城跡は、1590年~1600年に城主となった豊臣系大名の堀尾吉晴が築いたもの。現在は、浜松市史跡。

①天守曲輪南側全景。

浜松城0002天守曲輪・本丸.jpg

画面左側が天守曲輪、石垣で囲まれている。画面右側には石垣で囲まれた本丸があったが、半分以上消滅している。近年、発掘調査により本丸南側の残存石垣が見つかり表示(画面手前の直角三角形状の石垣)されている。

②本丸富士見櫓台を天守曲輪から撮影。本丸北側の富士見櫓台は本丸唯一の遺構。本丸には江戸時代初期には将軍家専用の御殿があったとされる。

浜松城014富士見櫓石垣.jpg

③本丸から天守門を撮影。天守曲輪東側の櫓門である天守門は明治維新後に撤去されたが、2014年に復元された。本丸から天守門へは、南の登城道、または、本丸北側の富士見櫓台側から登る二つのルートがある。

浜松城007天守曲輪東石垣.jpg

④天守台南東面。

浜松城025天守台南東面.jpg

天守台は天守曲輪の北側に築かれている。東側に付櫓台が張り出している、穴蔵地階に井戸が設置されているなど堀尾吉晴が関ヶ原戦後に築いた松江城天守との共通点が指摘されている。石垣は浜名湖北岸の珪岩を用いた野面積みである。天守建物は16世紀初頭には失われ、現在の天守建物は1958年に鉄筋コンクリートで模擬的に建設されたもので、財源不足のためか、西側にスペースを空け、本来の3分の2程度の規模となっている。なお、入場料は200円。

⑤天守台南西面。天守台の北西側(画面左)に張り出しているのが八幡台と呼ばれる城内最高所(標高41.9m)。八幡大菩薩をおまつりしていたとされる。

浜松城031天守台南西面.jpg

⑥埋門跡。天守曲輪西側の門。

浜松城034天守曲輪埋門.jpg

⑦二の丸発掘現場を富士見櫓台から撮影。現在、市役所北側の二の丸(旧元城小学校跡地)を浜松市で発掘調査している。江戸時代には二の丸御殿があった場所である。

浜松城010二の丸御殿発掘現場.jpg

浜松城滞在は1時間程で、11時50分退城し、元城町東照宮(1886年頃創建:引馬城跡地)に立ち寄った後、遠鉄電車で遠州病院駅発12時14分→西鹿島駅12時44分着、鳥羽山城をめざす。

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