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安土城 2016.5.3 [滋賀県]

安土城を訪れたのは2016年5月3日とちょっと前のことだが、1989年度から始まった滋賀県による安土城跡の調査・整備事業は2008年度で終了(財政難で継続は中止、史跡指定面積の8割は未調査のようだ)しており、状況に変化はないようだ。

東京駅9時33分発の「ひかり507号」で米原駅11時44分着、JR琵琶湖線に乗換え11時59分発→12時22分安土駅着。駅北口から北方向に1.3kmほど歩くと安土城の百々橋口(とどばしぐち)に達する(駅南口には内藤昌さん復元案による内部に吹き抜け構造をもつ天守復元模型などを展示している安土城郭資料館がある)。

①百々橋口跡。安土城の南西入口で、摠見寺を経て安土山頂に至るルートだが、現在は通行禁止。往時は城下町の山下町(さんげちょう)からの登城ルートになっていた。なお、ここの石垣・石段は後世のものだろう。

安土城1007百々橋口.jpg

②百々橋口跡から東方向の大手門跡へ向かう途中にある、発掘調査で見つかった山裾部の石垣遺構。枡形虎口のように見えるが、何らかの防御施設(郭)とされる。

安土城1009百々橋・大手間虎口②.jpg

③大手門跡を西奥側から撮影。発掘調査により見つかり整備された東西に延びる石塁と虎口。虎口は西側(画面右)から枡形虎口、平虎口、大手門跡、平虎口と4つの出入口がある。中央の大手門跡(遺構は残っていない)と両脇の平虎口は天皇の行幸用の門、西端の枡形虎口が通常の門だとの説があるが、否定する説もある。門の多さはナゾである。

安土城1012大手口西虎口②.jpg

入山料(現在は700円)を払って大手道へ入る。

④大手道。発掘調査により見つかり整備された。途中までは確かにまっすぐだが決して登りやすくはない。幅広の直線道となった理由は諸説ある。一般的には、天皇の行幸を目的に作られたとの説。千田嘉博さんは、山腹の屋敷地と効率よく連絡するため、及び、ビスタを意識した権威づけの演出との説。加藤理文さんは、主要部の石曳き道・工事用資材運搬道として使用され、工事完成後は上級屋敷地との往来として整備されたとの説。

安土城1017大手道②.jpg

⑤伝羽柴秀吉邸跡を下段から撮影。大手道を登りはじめて最初にある左側の屋敷地。秀吉邸跡というのは江戸時代に作成された絵図に記載されているからだが、発掘調査によって上・下二段が整備されている。規模の大きさから、千田嘉博さんは、このエリアは本能寺変後の火災で焼け残っていたので織田家後継者の三法師・信雄の居所として改修されたものと推測、加藤理文さんは、織田信忠の安土屋敷で清洲会議後に三法師が入ったのではと推測されている。

安土城1019大手道左郭①.jpg

直線だった大手道は途中からつづら折りとなり、伝織田信忠邸跡で百々橋口ルートに合流し、安土城中心部の伝黒金門跡への登城路となる(大手道は伝黒金門には続いていなかったとの説もある)。

⑥伝黒金門跡。左折後、右折する枡形虎口である。信長公記の「おもての御門」にあたるとされる。なお、石垣は昭和の修理後の姿となっている。

安土城1033黒金門④.jpg

⑦伝二の丸南西隅石垣。このあたりの石垣は信長時代のオリジナル遺構とされる(木戸雅寿さんの解説)。

安土城1043伝二の丸石垣.jpg

⑧天守台南西隅(伝二の丸東溜まり)。画面右が天守台、画面左が伝二の丸。発掘調査時に礎石と炭化した建築部材が検出されており、この部分の建物については諸説ある。千田嘉博さんは天守の懸け造り遺構説(信長公記の天守1階の平面規模と整合的)、加藤理文さんは伝二の丸への階段廊下説を採る。

安土城1054天主台南西.jpg

⑨天守台南東隅石垣。このあたりも信長時代オリジナル遺構のようだ。

安土城1062天主台南東②.jpg

⑩伝三の丸西面石垣を伝本丸から撮影。伝三の丸には信長公記に記載されている江雲寺御殿があり、伝本丸の南殿と階段廊下で繋がっていたとされる(このあたりの見解は皆さん一致している)。なお、石垣は昭和の修理後のもの。

安土城1079伝三の丸江雲寺御殿推定.jpg

⑪伝本丸東門跡。伝三の丸(江雲寺御殿)と天守取付台の間にある櫓門跡で2階を通して往来できたとされる。なお、この門を出ると伝台所や伝米蔵などに繋がるが通行禁止となっている。

安土城1082伝本丸東虎口.jpg

⑫天守台内部。穴蔵構造だが、周囲の石垣は昭和に修復されたもの。礎石群の中央部に礎石がなく「ナゾの穴」とされ、様々の推測がなされているが、天守の大黒柱用の穴というのが妥当なところだろう。

安土城1070天守台内部②.jpg

天守台を下り、伝織田信忠邸跡に戻り、百々橋口ルートで摠見寺の三重塔、二王門を訪ね、中腹の周回道を通って大手道に戻り、15時頃退城(滞在時間2時間)。このあと、安土城考古博物館、安土城天守信長の館に立ち寄った後、帰途についた。なお、千田嘉博さんの説は「信長の城」(2013年)、加藤理文さんの説は「織田信長の城」(2016年)、全般的解説については主に、木戸雅寿さんの「よみがえる安土城」(2003年)による。








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