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土浦城 2020.6.21 [茨城県]

都道府県をまたぐ移動自粛緩和直後の日曜日(2020年6月21日)、訪れたのは土浦城。日暮里駅から常磐線快速に乗り1時間ほどで土浦駅へ。駅から北西に1kmほど歩くと土浦城の本丸・二の丸に着く。霞ヶ浦に注ぐ桜川の自然堤防上の微高地に築かれた土塁造りの平城で、かつては城下町(総構)まで含めると4~5重の堀に囲まれていたが、現在残るのは本丸堀の大半と二の丸堀南西側のみ。築城は室町時代の若泉氏とされ、戦国時代には常陸国南部を支配した小田氏の家臣菅谷氏が城主だったが、徳川家康の関東移封後は結城秀康の支配地、17世紀以降は徳川譜代大名が城主となり近世城郭・城下町の整備が行われた。1687年以降は土屋氏(武田勝頼に最後まで付き従った土屋昌恒の子孫)が代々城主を務めた。

①二の丸旧前川口門(市指定文化財)を二の丸側から撮影。元々は多計郭の南側にあった(1862年築)が、明治維新後、役場→寺に移築された後、1981年に二の丸南側入口の二之門(二ノ丸門)跡に移築された。高麗門形式。

土浦城104前川口門二の丸側.jpg

②本丸南西側入口の櫓門(県指定文化財)を二の丸側から撮影。1656年櫓門に改築と伝わる。櫓内に太鼓が設置されていたことから太鼓櫓とも呼ばれていた(現在、太鼓は東櫓に展示)。

土浦城107本丸櫓門.jpg

③本丸南東隅の東櫓と霞門を二の丸側から撮影。続日本100名城スタンプの構図の場所だが、この時期は樹木が繁茂して分かりにくい。東櫓は1620年頃創建だが、1884年に焼失、1998年に木造で復元され公開(博物館入館料に含まれる)されている。霞門前入口は右折する枡形構造となっているが、門自体の来歴は明記されていない。

土浦城111東櫓と霞門.jpg

④本丸東南隅の入口の霞門を手前の枡形から撮影。薬医門形式。

土浦城112霞門.jpg

⑤本丸北西隅の西櫓を本丸側から撮影。西櫓も1620年頃創建、1949年キティ台風の被害を受け解体、1991年に木造で復元された。なお、本丸内には御殿が建てられており(幕末の1853年立替え)、明治維新後は新治県庁、新治郡役所に転用されていたが1884年に焼失、現在は緑地公園となっている。

土浦城116西櫓本丸側.jpg

⑥二の丸北西隅にある土浦市立博物館(入場料105円)へ。2階にある復元模型を北側から撮影。中央が本丸、その周囲が二の丸である。なお、当日は特別展「土浦城ー時代を越えた継承の軌跡ー」の最終日で、古地図・古文書などの他、明治維新後に移築されたと伝わる城門(複数の個人宅)の写真が展示されていた。

土浦城119市立博物館内模型北側から.jpg

土浦城は3種類(櫓門、高麗門、薬医門)の城門が現存し、二重櫓2棟が復元されているのは貴重だが、土塁造りのため、石垣造りの城に比べると地味な印象になってしまう。江戸時代の土浦城の周囲には仮想敵国がないので行政警察機能だけで十分だったのだろう。

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