SSブログ

三原城 2020.9.21 [広島県]

駅近ナンバー1の三原城を訪れたのは2020年9月21日(月)のこと。広島駅13時3分発山陽新幹線こだま850号で三原駅13時34分着。三原城は、1567年に小早川隆景が水軍の拠点として広島県中央を南東に流れて瀬戸内海に注ぐ沼田(ぬた)川河口に浮かぶ大島と小島をつないで築城。さらに隆景の隠居城として1595年から大改修に取りかかるも1597年に死去、関ヶ原の戦い後は、広島城に入った福島正則、次いで浅野氏の支城として維持管理された。明治維新後、廃城となり建物等は払い下げられ、1894年の山陽鉄道敷設により本丸が撤去され三原駅が設置されるなど市街地化が進んだ。現在、残った城跡は小早川氏城跡(高山城・新高山城・三原城)として国指定史跡となり、史跡整備されている。

①新幹線上りホームから天主台西側を撮影。背後の山は桜山(城跡)。

三原城101駅ホームから天主台西面.jpg

本丸の北端が天主台(三原市では「天主」の表記にこだわっている)と呼ばれている。建物としての天守があったわけではなく、北東隅・北西隅に二重櫓があり多聞櫓で囲まれていたようだ。天主台へは一旦改札を出た後、専用の階段を上って行く。天主台は平坦ではなく中央部が凹んでいる。ここがかつての大島だったのだろう。

②天主台から西国街道を撮影。天主台周辺の西国街道が発掘整備され、後藤門石垣(画面中央)の一部が復元された。

三原城132天主台より西国街道.jpg

駅南東に隣接する三原観光協会うきしろロビーでパンフレット類・スタンプを入手し、反時計回りに駅の周囲を一周することに。

③二之丸東側鍛冶曲輪石垣。駅東側の高架下を北へくぐり西に戻って行くと道の両側に石垣が連なっている。この駐車場が二之丸東側の鍛冶曲輪と呼ばれるエリアの痕跡のようだ。

三原城105鍛冶曲輪石垣.jpg

④さらに西へ歩き高架下の本丸東側石垣へ。隅角部はきれいな算木積み。内部は駅構内となっている。

三原城107本丸東側石垣.jpg

なお、三原駅となっている本丸には本丸御殿があったが、現在、大広間建築部材と伝わる「竹林に虎」が描かれている杉戸1点、小組格天井部材6点が市有形文化財として三原市歴史民俗資料館に保管(常設展示ではない)されている。支城にはそぐわない格式の高さから小早川隆景時代のものとされる。

⑤天主台北東隅石垣。隅角部は直角できれいな算木積みとなっていることから福島正則時代のものとされる。

三原城109天主台東側.jpg

⑥天主台北西隅石垣。隅角部は鈍角で算木積みにはなっていない(シノギ積み)ことから隆景時代のものとされる。

三原城116天主台北西隅.jpg

⑦天主台と本丸西側接続部石垣。本丸西側石垣はほとんど残っていない。

三原城119天主台・本丸西側.jpg

駅西側の高架下を南へくぐり、二之丸南西エリアへ。

⑧二之丸南西側・中門石垣。中央の門跡は石碑では本丸中門とあるが、このエリアは二之丸のはずでは。堀は半分程度しか残っていない。

三原城121二之丸西側中門.jpg

かつては、二之丸南側は海に面しており、二重櫓が5棟林立していた。その南東隅に突き出た櫓が舟入櫓と呼ばれていた。

⑨二之丸南東隅舟入櫓跡。隅角部はきれいな算木積み。小高い丘となっていることからかつては小島だったのだろう。この周囲に防波堤に囲まれた舟入(港)があった。明治維新後、新政府海軍省で軍港の候補地になったが、最終的には呉港に決定。

三原城126入船櫓跡.jpg

⑩舟入の痕跡。舟入櫓跡東側に水辺がわずかに残っている。

三原城129入船跡.jpg

三原滞在は1時間程度で、三原駅14時38分発こだま852号、途中、福山駅でのぞみ34号に乗換え帰途についた。

nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。