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盛岡城 2020.11.18 [岩手県]

花崗岩による総石垣の城として有名な盛岡城。JR東日本のGoToトラベルを利用して20201118日(水)に訪れる。盛岡城は、旧北上川と中津川の合流点に突出する丘陵地にあった不来方(こずかた)城の地に新たに南部信直が1597年から築城に着手し、完成したのは南部重直が入城した1633年。明治維新後、建物は払下げ取り壊され、1906年に岩手公園として整備(石垣の一部改変)、1937年には国指定史跡となり、近年では石垣の解体・修復が行われている。

都内からはやぶさ13号で盛岡駅1147分着、駅前からはバスに乗り6分ほどで盛岡城跡公園バス停に着く。このあたりは、三ノ丸・二ノ丸石垣の西側(旧北上川沿い)にあたる。

①三ノ丸・二ノ丸西側石垣。画面左が三ノ丸石垣、画面右側が二ノ丸石垣。三ノ丸西側石垣は割石を用いた乱積みで第2期(1617=元和3年以降)、二ノ丸西側石垣は割石を用いた布積みで第3期(1668=寛文8年以降)の構築とされる。

盛岡城101三ノ丸・二ノ丸西面.jpg

②二ノ丸北西隅石垣。城内で一番高い(14m)とされる。かなりはらんでいるようだが、大丈夫なのだろうか。

盛岡城105二ノ丸西面.jpg

③榊山稲荷曲輪石垣。三角形に突出した石垣。

盛岡城108榊山稲荷曲輪西面.jpg

石垣に沿って南端の腰曲輪へ進む。

④腰曲輪南西隅石垣。腰曲輪は本丸の西・南・東を囲む曲輪で東側は淡路丸ともいう。腰曲輪南側石垣は三ノ丸西側石垣と同様に第2期に構築、19841990年度に解体・復原工事が行われ美しい姿を取り戻している。

盛岡城112帯曲輪南西隅.jpg

⑤彦御蔵(ひこおくら)(市指定文化財)。城内に残る唯一の江戸時代の建物(土蔵)。本来はもっと西側にあったが道路拡幅工事にともない腰曲輪下の南エリアに移築された。

盛岡城118彦御蔵.jpg

腰曲輪東側(淡路丸)石垣の周囲を廻り、本丸・二ノ丸間の堀切へ進む。

⑥本丸・二ノ丸間の堀切。通り抜けて反時計回りに本丸石垣の周囲を廻ろうと思っていたが、落石の危険があるため通行止めとなっている。堀切に架かる橋は、江戸時代は廊下橋で本丸の大奥・中奥と二ノ丸の大書院をつないでいた。

盛岡城136本丸・二ノ丸間堀切.jpg

⑦本丸虎口。枡形虎口を右折すると櫓門(御末門、後に本丸御門と改称)があった。

盛岡城139本丸虎口.jpg

本丸虎口へは進まず本丸石垣の周囲の腰曲輪を時計回りに進む。

⑧本丸東側石垣。東面下部の石垣は第1期(1598=慶長3年以降)に築かれた自然面を多く残した乱積み(野面積みに近い)が残されている。

盛岡城143本丸東面.jpg

⑨本丸南東隅石垣(三重櫓台)。第2期に割石を用いた乱積みに改修されたようだが、南面下方には第1期の野面積みに近い乱積みが残されている。この石垣上に三重櫓(創建時のものは焼失、1676年に再建、1842年に天守と改称)が築かれていたが、明治維新後、取り壊された。

盛岡城145本丸南東隅.jpg

⑩本丸南西隅石垣(二階櫓台)。このあたりは布積みで第4期(1704=宝永元年以降)の改修によるものとされ、1998~2000年度に解体・修復されている。

盛岡城148本丸南西隅.jpg

このあと、引き返して本丸へ上がる。三階櫓台へは立入禁止となっている。廊下橋跡(現、渡雲橋)を通り、二ノ丸→三ノ丸へ。

⑪三ノ丸北虎口(内側から撮影)。枡形虎口を右折したところに櫓門(瓦門)があった。石垣の上に見えるのが烏帽子岩。画面左の三ノ丸北西部石垣は最近発掘調査された場所。

盛岡城178三ノ丸瓦門跡.jpg

三ノ丸を出て、堀跡の亀ヶ池、鶴ヶ池を見た後、もりおか歴史文化館を訪れて、盛岡城跡公園ガイドマップ(帯曲輪全体を淡路丸と表示しているが、現地の説明表示と異なっているので混乱を招くのでは)とスタンプを入手。

⑫盛岡歴史文化館の2階「歴史常設展示室」にある復元模型(画面右が南、左が北)。

盛岡城197復元模型西から.jpg

盛岡滞在は3時間、1450分発はやぶさ28号で帰途についた。なお、石垣の構築時期などについては、盛岡市「史跡盛岡城跡保存管理計画書」(2012年)、「同整備基本計画」(2013年)等による。

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