SSブログ

本佐倉城 2021.3.14 [千葉県]

千葉県酒々井(しすい)町と佐倉市にまたがる本佐倉(もとさくら)城を訪れたのは2021314日(日)のこと。日暮里駅から京成本線特急に乗車し54分で大佐倉駅へ、10分程度東方向へ歩くと本佐倉城跡東光寺ビョウに到着。本佐倉城は印旛沼の南側に突き出た台地に位置し、戦国時代、下総の名門千葉氏が居城として築城した。1590年、豊臣秀吉の小田原北条氏攻略に伴い、北条氏傘下に入っていた千葉氏は滅亡、徳川家康の関東移封後は廃城となった模様。近年、発掘調査が進められており、1998年には内郭部分が国指定史跡となり整備されている。

①城跡全体図(南麓に設置されているもの)。今回の歩行ルート(内郭部分は散策マップのルートをたどっている)を表示。

本佐倉城141全体図(2).jpg

「城山」(Ⅰ郭)、「奥ノ山」(Ⅱ郭)、「倉跡」(Ⅲ郭)、「東山馬場」(Ⅴ郭)、「東光寺ビョウ」(Ⅵ郭)、「セッテイ山」(Ⅶ郭)が内郭で、これらの名称は江戸時代末の成田参詣記の城址図記載名称によるようだ。

②東光寺ビョウから東山虎口方向を撮影。湾曲して突き出ている台地の東側に東山虎口がある。

本佐倉城105東山虎口方向.jpg

③東山虎口。折れ曲がった堀切状の虎口で、前後2箇所の門跡が確認されている。ここを通り抜けると東山馬場へ出る。

本佐倉城108東山虎口.jpg

④東山土塁上から北方向の眺望。中央を横切るのが京成本線で、その北側あたりまで干拓前の印旛沼は広がっていた。中央に筑波山の山頂部が見える。

本佐倉城113東山からの眺望 (2).jpg

東山馬場には城跡案内所が設置されているが、感性症防止対策で休館中(続日本100名城スタンプはトイレ前に設置。トイレは使えます)。Ⅳ郭を通り、城山へ向かう。

⑤城山(画面右側)と奥ノ山(画面左側)の間の堀切。この間に木橋が架かっていたとされる。

本佐倉城121城山・奥ノ山間の堀切.jpg

⑥城山南虎口。左折して右折する枡形虎口で、前後に2箇所の門跡が確認されている。

本佐倉城124城山虎口.jpg

⑦城山郭内(東方向を撮影)。発掘調査により主殿、会所、庭などの遺構が確認されており、主郭(本丸)に相当する郭のようだ。

本佐倉城129城山西→東方向.jpg

⑧奥ノ山郭内(西方向を撮影)。画面中央部の一段高い所に妙見宮(千葉氏の守護神)があったとされる。

本佐倉城135奥ノ山東→西方向.jpg

⑨倉跡郭内(東方向を撮影)。三段に造成されており、東下方(画面中央)がⅣ郭、東山馬場となる。

本佐倉城138倉跡西→東方向.jpg

倉跡と奥ノ山の間を南側麓に降りる。

⑩内郭南側の景観。画面右から城山、奥ノ山、倉跡と続く。標高33m、比高25mの小高い丘である。

本佐倉城145内郭南側.jpg

さらに南の外郭の向根古屋(むかいねごや)へ。

⑪向根古屋の馬出遺構(南方向を撮影)。空堀に囲まれた馬出の遺構(現状、畑)が残っている。

本佐倉城150向根古屋馬出.jpg

内郭西側のセッテイ方向へ。竹藪の小道を抜けるとセッテイ西側の空堀へ出る。

⑫セッテイ西側の空堀。現状は藪が生い茂っているが、東に突き出た台地(内郭)の遮断線として大規模な堀となっている。

本佐倉城157セッテイ空堀.jpg

セッテイ山へ向かって、空堀からセッテイ北西端の虎口へ入ったが、倒木と藪で進むことができず、東光寺ビョウへ脱出。セッテイ山の周囲はあまり整備されずに残されているようだ。東光寺ビョウの南奥虎口側から入り直す。

⑬セッテイと倉跡の間の空堀。この空堀も規模が大きい。

本佐倉城164倉跡・セッテイ間空堀.jpg

⑭セッテイ山入口。倒木多数のため立入禁止となっており退去。セッテイとは、接待のことらしいが、空堀で遮断された独立性の高い郭なので、人質郭との説もある。

本佐倉城169セッテイ山.jpg

本佐倉城の滞在時間はおよそ1時間半、整備エリアは軽装でかまわないが、未整備エリアへはそれなりの装備をして訪れることが必要と感じた。酒々井町ウェブサイトには、散策マップをはじめ様々なパンフレット・情報が掲載されており大変参考になった。



nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。