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宇和島城 2012.5.2 [愛媛県]

宇和島城を訪れたのは、2012年とかなり前なので、近況を宇和島市ウェブサイトの宇和島城を調べると、パンフレットが20218月にリニューアルされて、「お城下まっぷ」がなくなり年表や各郭の説明が追加されている(今回の記載に使用)。宇和島城は、宇和島湾岸の最深部の丘陵(標高74m:国土地理院地図)にあった板島丸串城を藤堂高虎が1596年から近世城郭に築き直したもので、その後、城主となった伊達家2代目の宗利が大改修を行い1666年頃に天守を現在に伝わる姿に建て替えた。明治維新後、城山は大阪鎮台所管を経て1889年に伊達家に払い下げられたのち1949年に宇和島市に寄付された。1937年には国指定史跡となっており、近年は発掘調査・保存整備事業が行われている。

さて、201251日、松山空港から伊予松山城を経て、夕方、宇和島市に入りホテルへ。2日朝、雨降りのなか宇和島城へ。

①城山東側から天守を撮影。麓から見上げると妻側のせいもありスマートに見える。

宇和島城101東北より天守.jpg

②城山への北東入口(藩老桑折氏武家長屋門)。家老だった桑折(こおり)家屋敷地に残されていたのを1952年に現在地に移築したもの(市有形文化財)。

宇和島城102桑折家長屋門.jpg

このあたりの平地に三之丸御殿があったが、17世紀後半に御殿機能は御浜御殿に移転、側室の休憩所等に使われたが幕末に取り壊され調練場となり、現在は市街地化している。城山を登り、井戸丸を経て二之丸へ。

③二之丸へはこの本丸北東石垣沿いの坂道を登る。石垣は高虎時代のものだろう。往時には坂道の下に三の門、上に二の門があった。

宇和島城108二の門跡.jpg

二之丸から本丸へ。

④本丸櫛形門(一の門)跡。切石を用いた切込接ぎの石垣なので伊達氏時代のものだろう。

宇和島城109一ノ門跡.jpg

⑤天守正面。一階幅11.82m、二階幅9.46m、三階幅7.31mと低減する層塔型天守。正面からはどっしりした重厚な感じ。

宇和島城124天守正面.jpg

⑥天守雛形(模型)。万延元年(1860年)の大修理の際、造られたもの。天守一階に展示されている。

宇和島城120天守1階.jpg

⑦天守から北西方向の眺望。手前が本丸、その後方が二之丸。

宇和島城121天守より本丸.jpg

本丸、二之丸から下って北側の藤兵衛丸へ。藤兵衛丸には城山郷土館(三之丸の武器庫だった旧山里倉庫を1966年に移築)がある。

⑧藤兵衛丸西側石垣。高虎創建時の野面積みの高石垣とされる。隅角部は算木積みになっているようだ。

宇和島城128藤兵衛丸.jpg

藤兵衛丸から南に進み式部丸を横に見て搦め手道を下りる(長門丸、代右衛門丸は見落としてしまった)。

⑨上り立ち門(市有形文化財)。城山南麓の搦手口に位置する薬医門。創建は高虎時代まで遡る可能性があるとされる。なお、搦手門はもっと南側に位置していた(現在は市街地化)。

宇和島城132上り立ち門.jpg

上り立ち門から出て、市立伊達博物館、天赦園へ。

⑩天赦園。天赦園は、幕末の1866年に7代藩主伊達宗紀(むねただ、有名な宗城の養父)が御浜御殿の南側を退隠の場所として造ったもので、現在は名勝に指定されている。なお、御浜御殿は、城山南西麓に17世紀後半に造られた藩主居館で、現在は宇和島東高・伊達博物館などの敷地となっている。

宇和島城134天赦園.jpg

このあと宇和島駅からJR予讃線で次の目的地:大洲城へ向かう。

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