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江戸城(3) 2021.9.20 [東京都]

江戸城北西側の牛込門跡~北の丸周辺の散歩。2021920日(月)、東西線の飯田橋駅を起点にまず外堀(牛込濠)の外周(新宿区側)を南西方向に歩き新見附橋へ。

①飯田橋方向の牛込濠を新見附橋から撮影。新見附橋は明治時代になって牛込濠の中間部を仕切って造られたもの。このあたりの外堀は、1636年の第五次天下普請で牛込から赤坂までの江戸城西側外郭として造られたもの。2020東京オリパラ開催前にボートと排水配管を浮かべていたが(水質改善?)、どうなったのだろうか。

江戸城1802牛込濠.jpg

新見附橋から牛込濠の内周(千代田区側)の土手(外濠公園)を北東方向に歩き牛込門跡へ。

②牛込門跡をJR飯田橋駅の西口2階史跡展望テラスから撮影。牛込門は田安門を起点とする上州道の出口として1636年に築かれた枡形虎口。高麗門を入り枡形内を右折して櫓門を潜る構造で、現在は、画面左に高麗門脇の石垣と枡形石垣の一部、画面右に櫓門台の片側(櫓門の右側)が残る。

江戸城1812牛込門.jpg

早稲田通を南東方向に歩き北の丸田安門へ。

③北の丸田安門土橋。田安門付近は標高25mで下からの高低差は18mほどある(九段下は標高7m)。土橋は西側の千鳥ヶ淵と東側(画面手前)の牛ヶ淵の分水嶺のようで自然地形を生かしたもの。二つの淵は、鈴木理生「江戸はこうして造られた」によると1592年に飲料水用ダムとして造られたとされる。

江戸城1822田安門土橋.jpg

④北の丸田安門。高麗門を入り枡形内を右折して櫓門を潜る構造。北の丸は16061607年の第一回天下普請で造られたようで、江戸始図にも田安門と清水門の枡形虎口が描かれている。現在の高麗門は1636年建築のものとされ、櫓門も同時期のものとされる(二階部分は関東大震災で被災し、1960年代に復旧整備されたもの)。

江戸城1828田安門高麗門.jpg

9月末まで東京オリパラ関連工事のため櫓門から先は立入禁止のため、九段下に降りて清水門へ。

⑤北の丸清水門を上の崖から撮影。高麗門を入り右折して櫓門を潜り、さらに180度左に回って北の丸へ登る構造。現在の高麗門は1658年建築のものとされ、櫓門も同時期のものとされる(二階部分は明治初期には、1960年代に復元された)。土橋が牛ヶ淵と清水濠を仕切っている。

江戸城1844清水門見おろす.jpg

北の丸を南東方向に歩き本丸北桔橋(はねばし)前へ。

⑥本丸北桔橋。標高2030mの台地続きの北の丸と本丸を断ち切る深い濠・石垣となっている。「はねばし」というものの基本は土橋となっている。

江戸城1846本丸北はね橋.jpg

竹橋を渡り、外堀(日本橋川)と清水濠に挟まれた雉子橋門跡へ。

⑦雉子橋門跡付近の日本橋川沿いの外堀石垣。渦巻き状の外郭・外堀の起点として知られる。画面右側は埋め立てられているが、往時は門前まで切れ込んでいた。門は内堀通りに平行して造られていたが痕跡は残っていない。

江戸城1850雉子橋.jpg

日本橋川沿いに下り、一橋門跡へ。

⑧一橋門跡。外堀(日本橋川)を渡った所に高麗門、右折して櫓門のある枡形虎口があった。現在は枡形石垣の残欠が残っている。

江戸城1855一橋門.jpg

真っ直ぐ進み三の丸平川門・平川橋前へ。

⑨三の丸平川門・平川橋前。このあたりは標高4mで木橋となり周囲の石垣も低い。

江戸城1856平川門.jpg

東西線竹橋駅へ降り帰路につく。2時間ほどの散歩だった。

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