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白石城 2021.10.18 [宮城県]

東北新幹線で仙台駅から白石蔵王駅へ。白石蔵王駅から白石城まで約2kmと歩ける距離だが、お寺に移築された門に寄り道して行くためタクシーを利用する。
①当信寺山門。二ノ丸大手二ノ門(東口門)を移築したもの。移築時に改造されているが、2016年に本堂とともに国の登録有形文化財に登録された。なお、当信寺には真田信繁の子の阿梅(おうめ)と大八の墓所がある。
白石城104当信寺山門.jpg
②延命寺山門。城の北側入口の厩口門を移築したもの。現在の神明社の参道の入口あたりにあったようだ。移築時に建物寸法や窓などが改造されたようだ。これら二つの門は、城の北側から展望した構図の「白石城屏風」(片倉家蔵)に描かれている。
白石城101延命寺山門.jpg
ヨークベニマル白石店の前(このあたりは外曲輪跡)でタクシーを降り、城跡の東入口へ歩く。
③二ノ丸大手一ノ門・二ノ門跡。二ノ丸の東入口で、坂の下に一ノ門、坂の上に二ノ門があったようだ。
白石城108入口.jpg
④本丸東側石垣。江戸時代の本丸は総石垣だったが、明治になって建物等が払い下げられた際、石垣も解体搬出されたようで、残存しているのは基底部のみ。現地説明板によれば、手前は創建当初の野面積みとされ(打込み接ぎのようにも見えるが)、先の方は江戸時代の修復で切込接ぎ布積みとなっている。
白石城113本丸東側石垣.jpg
白石城を石垣造りの近世城郭に改造したのは、豊臣秀吉の奥羽仕置後に会津若松城に入った蒲生氏郷の支城時代(15901595年)とされ、一旦廃城となった後、上杉景勝支配を経て伊達領となり、江戸時代を通じて片倉氏が城主を務めた。本丸の北側へ。
⑤本丸三階櫓北面。現在の三階櫓(白石市では天守という)は、白石市による文献資料調査と発掘調査に基づき設計され、伝統的木造工法により建築され1995年に完成したもの。1819年の火災で焼失後1823年(文政6年)に再建されたものを復元している。北面は城絵図や屏風に描かれているが、他の面は推定によるものだろうか。石垣も基底部あたりの野面積みしか残っていなかったため、三階櫓周辺の石垣が全面的に野面積みとして復元された。特に北西隅角部石垣は消滅していたので、ここの算木積みは推定によるものである。
白石城116本丸大櫓北面 (2).jpg
本丸大手門から本丸内に入る。
⑥本丸大手一ノ門、二ノ門(櫓門)を三階櫓から撮影。こちらも三階櫓と同様に復元されたもの。本丸の北側入口で特異な枡形虎口となっている。
白石城121本丸大手門.jpg
⑦本丸三階櫓南東面。南側と東側は土塀が張り出し、南側の階段を上ると土塀まで張り出した玄関入口から入る構造。
白石城123三階櫓南東面.jpg
現在、城跡一帯は市の史跡に指定されており、さらに復元建物は2011年に市の有形文化財に指定されている(伝統的工法による復元建物であっても文化財に指定するのは大変珍しいのでは)。帰りは北側の神明社の参道から退城し、沢端川沿いを歩き、温麺(うーめん)を食べて帰途につく。
⑧沢端川沿いの景色。沢端川は三ノ丸の外堀の役割を果たしていた。
白石城139沢端川.jpg
なお、本記事の解説内容は主に「片倉小十郎の城 白石城発掘調査報告書」(1998年)、「よみがえる白石城」(1995年)によりました。発掘調査報告書では、「遺構保護の観点からは、問題のある復元工事となっている。文化財保護の観点からは、復元工事というより、`平成の築城'であった。」と指摘されている。



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