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佐伯城 2022.5.22 [大分県]

大分県南部の城めぐり、まず佐伯(さいき)城から。2022522日(日)、大分空港1140分到着後、大分交通の佐臼ライナーで佐伯市へ向かう(空港1155分発→大手前1355分着)。飛行機はほぼ満席だったが、このバスはゆとり大。佐伯城大手門跡前のバス停の西方向が城跡となる。
①大手前から城山を撮影。正面が三の丸櫓門、背後が城山(標高146m)。
佐伯城102大手門跡から.jpg
②三の丸櫓門。櫓門は1832年に建て替えられたもので城内に現存する唯一の建物(県指定有形文化財)。
佐伯城104三の丸櫓門.jpg
三の丸内には御殿があり、明治に入って廃城後も役所や学校などとして利用されたが、次第に解体が進み1970年に残存建物は市内船頭町に移築された(「住吉御殿」現存)。移築後建設された佐伯文化会館も老朽化により現在解体撤去工事中で三の丸内へは立入禁止となっている。このあと発掘調査するのだろうか。

三の丸から城山へ登る道は3ルートあるが、江戸時代から使用されていた「登城の道」を登る。
山城部分の縄張り略図。オレンジ色が今回の歩行ルート。
佐伯城縄張略図.jpg
つづら折りの道を20分ほど登って西出丸東虎口の冠木門跡へ。
③西出丸冠木門跡を右上から撮影。枡形虎口ではないが登城路を左折して入るので防御力はそれなりにありそう。
佐伯城130西出丸冠木門跡.jpg
西出丸を北へ進み二の丸入口の櫓門跡へ。
④二の丸櫓門跡。櫓門が前面にありそのあと石垣に囲まれた通路を斜め右に曲がる特異な構造。
佐伯城134二の丸櫓門跡.jpg
二の丸を北東へ進み本丸へ。
⑤二の丸から本丸南側を撮影。本丸石垣の下には本丸外曲輪が廻っている。
佐伯城142二の丸から本丸南側.jpg
二の丸から廊下橋を渡って本丸へ入る。
⑥廊下橋跡。現在はコンクリート橋が架かっているが、江戸時代には廊下橋(屋根のついた廊下)が架かっていた。
佐伯城177廊下橋.jpg
廊下橋跡を渡り石段を登って本丸へ。
⑦天守台。本丸の西半分の大半を占める。関ヶ原合戦後、佐伯地域に配置された毛利高政が1602年から4年をかけて築城した際に三層の天守を建てたと伝わるが1709年までには失われた。現在残る天守台が築城当時のものかどうかは明らかになっていない(未発掘)。
佐伯城148天守台北東隅.jpg
本丸東側の近代に造られたコンクリート階段(本来は二重櫓があった場所)を降りて本丸外曲輪へ。
⑧本丸外曲輪から東方向(佐伯湾)の眺望。
佐伯城150本丸外曲輪から東方向.jpg
本丸外曲輪北虎口の櫓門跡から北出丸へ。
⑨北出丸側から本丸外曲輪櫓門跡を撮影。喰違虎口だが、手前の櫓台の上部石垣が失われている。
佐伯城156本丸外曲輪櫓門跡.jpg
北出丸西虎口の冠木門(水の手門)跡から「若宮の道」を下り雄池へ。
⑩雄池(おんいけ)。岩盤を平面方形に掘削した人工池。池奥には土留めの石垣を築いている。
佐伯城161雄池.jpg
さらにこの下の雌池(めんいけ)を見たあと、再度登って北出丸下を廻る「北側園路」を通り雛壇状石垣を見に行く。
⑪雛壇状石垣。画面の右最上部が本丸石垣、その下が本丸外曲輪石垣、さらにその下段以降が4段に築かれた雛壇状石垣で、豪雨で崩落した斜面の修復と補強のために1735年に築かれた石垣。樹木が伐採されて見やすくなっている。
佐伯城168多段石垣.jpg
「独步碑の道」に合流し本丸外曲輪東虎口の冠木門跡から入り、本丸外曲輪南側を通り廊下橋の下へ。
⑫廊下橋下の冠木門跡。「登城の道」の分岐ルートから廊下橋の手前で折れて二の丸に入る入口。
佐伯城172廊下橋下冠木門跡.jpg
この分岐ルートから下山。佐伯市歴史資料館で復元模型を見学したあと、武家屋敷の雰囲気を残す山際通りへ。途中、城下町観光交流館で一休みし、JR日豊本線佐伯駅1640分発で臼杵へ向かう。なお、本記事の解説内容は、佐伯市教育委員会「佐伯城跡総合調査報告書総論編」(20223月、Web版)によりました。[追記]20233月、国史跡に指定されました。



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