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臼杵城 2022.5.22 [大分県]

2022年5月22日、JR日豊本線特急にちりん14号で佐伯駅発1640分→臼杵駅178分着。まず城跡西側の大手門跡付近にある臼杵市観光交流プラザに行き「臼杵城跡」パンフレットを入手。臼杵城は、1556年頃に大友義鎮が北・東・南が海に囲まれた丹生嶋(にうしま)に居城として築いたもので、1593年の大友氏改易後は豊臣秀吉家臣の福原直高、太田一吉による改造、1600年以降は稲葉氏による改造が行われた。明治以降廃城となり丹生嶋の周囲も埋め立てられたが、丹生嶋部分は公園化され県史跡に指定されている。
古橋(ふるはし)口へ向かう。
①古橋口。この橋の両側のみ水堀が残っている。大友氏時代からの登城路、橋を渡って外枡形のような曲輪に入り、鐙(あぶみ)坂と呼ばれる坂道を登るルートだが、岩盤崩落の危険性があるため通行止めとのこと。
臼杵城109古橋口.jpg
迂回路の今橋口から入ることに。丹生嶋部分の縄張り略図と今回の歩行ルート(オレンジ色)。
臼杵城縄張り図.jpg
②今橋口。稲葉氏入城後に造られた登城路。枡形虎口があったが遺構は残っていない。
臼杵城122今橋口.jpg
二の丸北側石垣に沿って東へ進む。
③二の丸着見櫓台石垣。二の丸北側で最も見映えのする石垣。
臼杵城124着見櫓台.jpg
着見櫓台の先で二の丸跡に入り、西方向へ戻り鐙坂の上まで行ってみる。
④鐙坂の上。鐙坂を登り切ると逆方向へ旋回する登城路が続く。画面中央は二の丸西入口の大門(だいもん)櫓(近年、模擬櫓門として木造で建設されたもの)で稲葉氏入城後に整備されたもの(それ以前は二の丸北側を迂回していた)。
臼杵城128中門跡.jpg
⑤畳櫓。鐙坂の突き当たりにあるのが畳櫓。明和年間(現地説明板)または天保年間(パンフレット記載)に再建されたもの。
臼杵城129畳櫓.jpg
再度、大門櫓から二の丸へ入り、神社・多目的グランドの横を通って東側の本丸に向かう。
⑥本丸・二の丸間の南側空堀。稲葉氏入城後に造られたとされる。この時期は草に覆われて石垣がよく見えないのは残念。
臼杵城139本丸・二の丸空堀.jpg
⑦草に覆われた天守台石垣。天守台石垣は福原氏時代に築かれた遺構と考えられている。本来は7mの高さがあったが、大正時代に公園整備に際し上部4mほどが壊された。隅角部石垣も崩されているようだ。この上に34階の天守が廃城まで維持されていた。
臼杵城143天守台北西隅.jpg
⑧鉄(くろがね)門跡を本丸内側から撮影。稲葉氏入城後に造られた本丸西入口の枡形虎口だが、北側石垣(画面右側)は失われて南側のみ残る。
臼杵城153鉄門跡.jpg
⑨卯寅口(うとのくち)門脇櫓を本丸側から撮影。1854年に再建されたもので2層3重(地下1階)。卯寅口門跡(東北東入口)は手前の低地の先にあり、緊急時の海への脱出ルートとされる。
臼杵城157卯寅口門脇櫓.jpg
⑩本丸東端。断崖絶壁の雰囲気が残る。
臼杵城102東端.jpg
臼杵駅に戻り1842分発のJR日豊本線で宿泊地の大分市へ向かう。



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