感染症対策自粛期間が長期化しているため過去の城めぐりを追加することにします。徳島城へは、2014624日(火)、仕事で徳島滞在中の空き時間に訪れた。徳島城は、吉野川河口デルタにある助任川と寺島川に囲まれた丘陵(標高61m)に蜂須賀家政が1585年に近世城郭として築城、明治維新後に鷲の門を除き建物は撤去され、1910年から公園(現、徳島中央公園)になり、現在は国指定史跡となっている。徳島駅前から東へ10分程度歩き鷲の門へ。

①鷲の門。大手門前の三木曲輪の東側入口。江戸時代から残っていた門は1945年戦災で焼失、1989年に篤志家によって復元され徳島市へ寄贈された。


②月見櫓跡。平地の居館(御殿)エリアの南東隅に二層三階の月見櫓があった。石垣には中央構造線に沿って分布する結晶片岩(阿波青石と呼ばれる緑泥片岩など)が使用されている。周囲の堀(堀川)は、居館(御殿)の東側をコの字に囲んでいる。


③大手門(黒門)跡。居館南側の枡形虎口となっており、左折したところに櫓門があった。


④太鼓櫓跡。居館の南西隅には三層四階の太鼓櫓があった。


居館エリアを北の城山方向へ進む。

⑤城山への登り口。尾根上に、東二の丸、本丸、西二の丸、西三の丸が配置されている。


⑥東二の丸(天守跡)。曲輪の中央部分に三層の天守が明治維新まで建っていた。


⑦東二の丸から本丸への登り道。このあたりの石垣は不揃いで築城当初のものだろうか。


⑧本丸弓櫓台。本丸西枡形虎口前に張り出している。隅角部はきれいな算木積みにはなっていないので築城当初のものだろうか。


⑨西三の丸枡形虎口。このあたりの石垣には巨石が目立つ。


城山下山後、御殿跡にある徳島城博物館(居館エリア復元模型等があるが館内は撮影禁止)へ。名勝の表御殿庭園は時間不足のため残念ながら割愛。