丸岡から京福バスで福井城へ向かったのは201845日(木)のこと。1455分頃、裁判所前のバス停で降りて福井神社と中央公園の間を通り本丸北西側へと歩く。福井城の本丸跡には県庁舎など現代建築が建ち並んでいるが、県都デザイン戦略として城跡の整備も進んでいる。
①本丸北西面石垣(天守台)。石垣は笏谷石を用いた打込み接ぎ布積みで横目地がきれいに通っている。

福井城は、徳川家康の次男結城秀康が柴田勝家の築いた北ノ庄城を1601年~1606年に大改造した平城。本丸を中心に周囲に二ノ丸・三ノ丸などを、水堀を廻らして配置していた。明治以降、建物は解体、外堀は埋め立てられ二ノ丸・三ノ丸は市街地化し、現在は内堀・本丸石垣の遺構が残されている。
②御廊下橋と山里口御門。

本丸西側の入口で、藩主の住居のあった御座所(現、中央公園の西側)から本丸へ入る入口だったとされる。御廊下橋は2008年に古写真にもとづき復元、山里口御門は20183月に古写真・古絵図・発掘調査に基づき復元された。山里口御門の屋根は笏谷石を用いた石瓦で葺かれている(福井城の櫓や塀の屋根は笏谷石を用いた石瓦で葺かれていた)。本丸に入り天守台へ。
③天守櫓台(天守曲輪)石垣。天守は二段の石垣の上に建てられていた。これは一段目。

④天守台石垣。二段目の石垣で画面左が天守台、右側は控天守台(小天守台のことか?)。石垣はきれいに成形された切込接ぎで、1669年天守焼失後に築き直されたものと思われる。

⑤天守絵図。駿府城天守の復元模型に似ているようだが、駿府城天守の絵図は無いので、逆にこの絵図を参考に復元模型を作ったのかもしれない。

南側に回って本丸大手口へ。
⑥瓦御門跡。本丸大手口で高麗門を入り右折して櫓門を通る枡形門だったが、内側の石垣は撤去されている。

帰路は時計回りに、北陸本線特急サンダーバード25号で福井1540分発→金沢1630分着、金沢発1647分の北陸新幹線かがやき512号で都内へ戻る。