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赤穂城 2022.5.2 [兵庫県]

岡山への帰省の途中、復元整備された赤穂城を訪れたのは202252日(月)のこと。姫路駅で在来線に乗換え播州赤穂駅へ。駅から15分ほど南西方向に歩くと三之丸北東隅の大手隅櫓と大手門が見えてくる。
①三之丸大手隅櫓と大手門(高麗門)。これらの建物は1955年に赤穂城復興義士尊像奉献奉賛会によって再建されたもの。
赤穂城107三之丸大手隅櫓.jpg
大手門からは入城せず三之丸北西隅へ向かう。
②三之丸北西隅。北西隅には櫓が築かれなかったが隅部石垣が突出する構造となっており、赤穂城跡公式Webサイトではこのような方形の突出部を「横矢枡形」と呼んでいる。西側(画面右)の石垣には三角形に突出する屏風折が造られている。なお、三之丸外堀西側は埋められている。
赤穂城102三之丸北西隅.jpg
赤穂城は、瀬戸内海に注ぐ千種川の三角州の先端部に、浅野長直が16481661年にかけて築いた平城。城の縄張りは甲州流軍学によるもので石垣を屈曲させて横矢掛りを駆使した構造に特徴がある。明治になって、建物は取壊し・移築され、土地も払い下げられたが、1971年の国史跡指定を機に、赤穂市が土地公有化と城跡復元整備を行い現在の姿となった。
三之丸西側の石垣に沿って南方向へ進むと搦手入口の塩屋門跡に達する。
③三之丸塩屋門跡を内側から撮影。高麗門と枡形(櫓門は築かれなかった)で構成されるが、枡形の片側石垣は失われている。
赤穂城121三之丸塩屋門跡.jpg
三之丸を南東方向へ進み二之丸門跡へ。
④二の丸門跡。左折する枡形虎口で切妻の櫓門があった。二之丸門を含むこのあたりの石垣は、1892年の千種川の洪水災害復旧と流路変更のため利用され失われたが、2016年度に一部復元(画面右側)された。
赤穂城126二之丸門跡.jpg
二之丸を南方向へ進み本丸門へ。
⑤本丸門。高麗門と櫓門から構成される枡形虎口である。本丸は、19281981年のあいだ赤穂高等学校(旧制赤穂中学校)として利用された後、発掘調査・城跡復元整備が行われた。本丸門は1996年に復元された。
赤穂城132本丸門.jpg
⑥天守台。本丸南東部に独立して築かれている(建物は築かれなかった)。石垣の高さは城内最高の約9m。
赤穂城140天守台南西面.jpg
⑦天守台から見おろす本丸庭園。本丸庭園は復元整備されて国名勝に指定されている。
赤穂城144天守台より本丸庭園.jpg
本丸門から出て、本丸を囲んでいる二之丸を反時計回りに進む。西側の二之丸庭園を経て二之丸南端の水手門跡へ向かう。
⑧二之丸水手門跡。江戸時代には二之丸南岸は瀬戸内海に面しており、門の前面には船着き場の雁木が設けられ、さらに波よけの突堤が築かれていた。これらの雁木と突堤は発掘調査に基づき復元整備された。奥の建物は米蔵を模して造られた米蔵跡休憩所。
赤穂城167水手門跡.jpg
⑨城外(往時の海)から二之丸南沖櫓台を撮影。城内最南端に位置する海上監視の二重櫓跡。
赤穂城170二之丸南石垣.jpg
水手門跡から二之丸に戻る。
⑩本丸南側石垣。画面左から、本丸南西隅の大規模な突出部、刎橋門跡、屈曲して南東隅へと続く、見応えのある石垣。
赤穂城165本丸南西隅.jpg
本丸東側石垣を眺めながら二之丸東側を北方向へ進む。
⑪本丸東側の厩口門。発掘調査に基づき2001年に復元整備された。
赤穂城188厩口門.jpg
⑫本丸東北隅櫓台。本丸唯一の隅櫓(二重櫓)で明治初期まで残っていた。
赤穂城190本丸東北隅櫓台.jpg
二之丸門跡から出て三之丸東側の清水門跡へ向かう。
⑬清水門跡(画面左)と二之丸東北隅櫓台(画面右)。二之丸東北隅櫓台は1892年の千種川洪水災害復旧のため失われていたが1996年に復元整備されたもので白石と黒石の石垣のコントラストが映える。奥の建物は赤穂市立歴史博物館。
赤穂城198清水門跡.jpg
三之丸北側へ進み、大石良雄宅跡長屋門を見て大手枡形へ。
⑭三之丸大手枡形。明治時代に改変されていたが、2002年に復元整備された。
赤穂城113三之丸大手門枡形.jpg
大手門から退城。赤穂城は、本丸・二之丸・三之丸を囲んで延々と続く石垣が素晴らしい。なお、本記事の解説部分は赤穂城跡公式Webサイトやパンフレットによりました。


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