金沢城河北門から三の丸へ入り、東側の石川門へ。
①石川門枡形内石垣。異なる時期の石垣が左右に並ぶ。画面左は寛永期(4期)の打込み接ぎ石垣(江戸後期の改修含む)、右は明和期(6期)の不整形な切石による切込み接ぎ石垣。

②内部公開中の石川門(1788年築、重要文化財)。石川櫓から入り続櫓・櫓門を廻って戻る順路となっている。高麗門・櫓門・多聞櫓で囲まれた枡形門遺構が揃っているのは金沢城のみ(大坂城大手門の方が規模は大きいが一辺が土塀)。

東の丸東面の石垣を眺めた後、菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓(2001年復元)が並ぶ二の丸東面へ。
③五十間長屋石垣。寛永8年(1631)の大火後に二の丸が整備(二の丸御殿の創建)された際、三の丸との間に堀・石垣・櫓を築いたのが始まりで、宝暦9年(1759)の大火後に修築された打込み接ぎ石垣が現在残っている。

二の丸には入らず二の丸北面へ。
④二の丸北面石垣。寛永期(4期)に築かれ、寛文期(5期)に修築された石垣、横目地がきれいな打込み接ぎの完成形とされる。

⑤土橋門石垣。寛永期に築かれ、寛文期・享和期に不整形切石積み石垣に修築された。三の丸北西入口で枡形虎口だったが、内枡形部分は消滅している。

⑥数寄屋敷石垣。手前の切手門横の石垣は、金場(かねば)取残し積み(表面の周囲を縁取りし中は粗く削り残した不整形切石積み)、後方の二の丸との間の石垣は、長方形の切石積み。二の丸の西側にある数寄屋敷は二の丸御殿の部屋方(女中部屋)があったためかお洒落な石垣が用いられている。奥の建物は旧陸軍歩兵第六旅団司令部庁舎。

数寄屋敷から二の丸に入り、極楽橋を渡って本丸付段へ。
⑦極楽橋下石垣。寛永期の打込み接ぎ石垣で堀底を歩くことができる。

⑧本丸付段の三十間長屋(1858年築、重要文化財)。石垣はカラフルな金場取残し積み。石川門同様建物内は公開されている。

⑨鉄門石垣。本丸西側の入口、寛永期に築かれ明和期に修築された不整形切石積み石垣。

⑩本丸跡。本丸内は穴が掘られて旧陸軍時代の弾薬庫跡となっており、江戸時代の趣はなく石垣の一部も失われている。天守及び後継の三階櫓は画面右奥(南東)方向にあったはずだが、地表面に痕跡は残っていない。

⑪本丸北東隅の戌亥櫓跡から眺める二の丸橋爪門・橋爪門続櫓。橋爪門内側の石垣は正方形切石積みで色彩のコントラストが美しい。

本丸南側→東の丸→東の丸付段の鶴丸倉庫へ。
⑫鶴丸倉庫(1848年築、重要文化財)。外壁下半分は石貼り造りとなっている。こちらも内部公開している。

本丸北面石垣→二の丸→玉泉院丸に戻る。鼠多門橋を渡り北進、鼠多門続櫓台石垣・数寄屋敷崖下の石垣を見ながら帰路についた。
[メモ]石垣の分類・編年については、現地案内板のほか石川県金沢城調査研究所『よみがえる金沢城2』、石川県ウェブサイト「金沢城公園」によりました。