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金沢城(1) 2022.11.14 [石川県]

20221114日(月)、都内から北陸新幹線に乗り、7年ぶりに金沢城を訪れる。前半は、城跡西側の玉泉院丸から外周を反時計回りに廻ることに。まず、尾山神社(金谷出丸跡)からお堀通り(いもり堀跡)をまたぐ鼠多門橋を渡り鼠多門から玉泉院丸へ入る。
①玉泉院丸鼠多門と鼠多門橋。
金沢城22007鼠多門.jpg
鼠多門と鼠多門橋は発掘調査等に基づき2020年に復元整備された。鼠多門は海鼠壁が白漆喰ではなく黒漆喰仕上げとなっていることが特徴、鼠多門橋は現代の安全基準を満たすラーメン構造の鋼材を木材で覆う仕上げとなっている。
②玉泉院丸庭園。
金沢城22021玉泉院丸内中央.jpg
庭園は発掘調査等を経て盛土の上に2015年に再現されたもの。庭に面した崖に色紙短冊積み石垣などの趣向を凝らした石垣が配置されている。
玉泉院丸から南方向の薪の丸を通って本丸南面へ。
③本丸申酉櫓下石垣。
金沢城22047申酉櫓下石垣.jpg
本丸南面石垣の大半は慶長期(2期)の割石積み(初期の打込み接ぎ)とされるが、画面中央の旧隅角ラインに沿って画面左側は寛永期(4期)に継ぎ足された粗加工石積み(打込み接ぎ)で刻印があるのが特徴、規格化がすすんでいるようだ。なお、石垣上部の三分の二は1907年の崩壊で失われ、下の三分の一が現存している。
④本丸南面石垣。下段はいもり堀埋め立ての土取後の崖保全のため明治期に設置された谷積み石垣で、上部三分の二の崩落した石が再利用されている。
金沢城22050本丸南石垣.jpg
石垣展示を見ながら本丸・東の丸南東隅の辰巳櫓下へ。
⑤兼六園側から辰巳櫓下の隅角部石垣を撮影。
金沢城22070南隅.jpg
南面(画面左)の石垣は1907年の石垣崩落後に三段に改変されたが、下段の隅角部は慶長期の石垣できれいな算木積みになっている。東面(画面右)は文禄期(1期)の野面積みで高石垣を積むため二段で築かれており、隅角部は素朴な算木積みとなっている。
⑥百間堀跡といもり堀跡。画面右の道路が兼六園との間の百間堀跡、前に突き出ている石垣が鯉喉(りこう)櫓台で前面のいもり堀の一部とともに2010年に復元された。
金沢城22068南東全景.jpg
⑦東の丸東面石垣。何か作業中のようだ。上の二段は文禄期の野面積み、下段は百間堀縁の石垣で元和期(3期)の粗加工石積み(打込み接ぎ)。
金沢城22074本丸東石垣.jpg
⑧三の丸東面石垣。元和期に築かれた石垣を文化期に修築したもの。
金沢城22079三の丸東面石垣.jpg
石川門と兼六園をつなぐ土橋跡の橋をくぐり抜けて、北側の白鳥路(白鳥堀跡)を通り大手堀に面した尾坂門跡へ。
⑨尾坂門跡。慶長期に築かれた石垣を寛政期に修築したもの。大きな鏡石を配置している。
金沢城22090尾坂門.jpg
尾坂門跡から入り新丸広場を横断して三の丸北東入口の河北門前へ。
⑩河北門前石垣。河北門前周辺の三の丸北面は慶長期の石垣が残る。河北門自体は2010年に復元されたもの。
金沢城22095河北門前石垣.jpg
[メモ]石垣の分類・編年については、現地案内板のほか石川県金沢城調査研究所『よみがえる金沢城2』、石川県ウェブサイト「金沢城公園」によりました。



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