①天守下の段から天守二の門(楠門)を通り天守曲輪へ。天守曲輪石垣は豊臣・桑山期に築かれ、連立式天守は浅野期が初代、落雷焼失後に2代目(1850年)、空襲焼失後に3代目(1958年)が再建されている。

②天守から東方向の本丸方向を撮影。現在、本丸は和歌山市水道配水池となっており、手前の天守撮影エリアを除いて立入できない。なお、本丸上部の石垣は配水池設置に伴い嵩上げされたもの。

この後、転用石や埋門など見所が多い天守曲輪北側石垣を見に行こうと思ったが立入禁止エリアとなっているので、大正期に造られた新裏坂を南西方向へ下り砂の丸(南)へ向かう。
③砂の丸(南)から東隣の南の丸へ入る枡形虎口。南の丸と砂の丸は徳川頼宣が1621年に拡張したもの。現在、南の丸は動物園となっている。

④砂の丸(南)高櫓台石垣と不明(あかず)門跡。砂の丸(南)高櫓台石垣は砂丘を断ち切った高台に石垣を築いたもので隅角部は花崗斑岩を用いた切込み接ぎとなっている。その右は砂の丸南入口の不明門跡で、現在、駐車場入口となっている。

城内に戻り砂の丸(南)から砂の丸(北)へ。
⑤山裾西側石垣。山裾の石垣は豊臣・桑山期の野面積みが多いが、このあたりは浅野期の打込み接ぎとなっている。

⑥追廻門(和歌山市指定文化財)。砂の丸の西入口、1985年に解体修理が行われ、本来の色と判明した赤色に塗られた。

⑦砂の丸(北)内側の打込み接ぎの石垣。現在、砂の丸(北)は広場になっている。

砂の丸から窪地の鶴の渓に下りて山麓北側に向かう。
⑧山裾北西(鶴の渓)の野面積み石垣。中央の巨石は地山の石だろうか。右側では重機を使い石垣斜面の樹木伐採作業が行われている。

⑨裏坂。本丸・天守曲輪への北側登り道。野面積み石垣がジグザグ道に沿って築かれている。

ここは見るだけで、二の丸から御橋廊下を渡って西の丸へ。
⑩西之丸庭園(名勝)。御橋廊下の奥の堀は庭園の池となっている。

⑪御橋廊下内部。靴を脱いで渡ることができる。傾斜しているので床に横木が段々に設置されているが、素足では歩きにくい。

⑫吹上口跡。城の北西入口(砂の丸の北入口)で、鳥居のうしろに勘定門跡の石垣は残っているが、枡形空間の前面にあった吹上門石垣・外堀(画面右端=西側に一部残っている)・船からの荷降ろし用雁木は失われている。

石垣の見所が多く、ここまででおよそ2時間経過。バスで和歌山駅に戻ろうとしたが、なぜか子供達で満員のためタクシーで戻り、特急くろしお17号で新宮駅に向かう。