関東地方独自の石垣で有名な小倉(おぐら)城は、埼玉県比企郡ときがわ町に所在、槻(つき)川の屈曲部に張り出す丘陵上(標高137m)に戦国時代に築城され、現在は比企城館跡群の一つとして国指定史跡となっている。戦国時代の文献には登場しないため、築城者・城主・廃城時期は不明だが、発掘調査の遺物からは15世紀末から16世紀後半に機能していたと判断され、築城者は山内上杉氏または扇谷上杉氏と推測、小田原北条氏支配下では支城として機能していたと考えられている。

2020年3月12日(木)、都内から東武東上線で武蔵嵐山駅に10時54分着。「せせらぎバスセンター行」バス(イーグルバス)で駅西口11時7分発→田黒11時17分着(平日は1時間に1本の運行、乗客は私だけ)。北西方向に道なりに1kmほど歩き、左折して舗装林道(小倉城跡入口の表示あり)へ入り、さらに城跡入口表示で右折して林間の山道へ。「ホトケハラ平場」で西の物見山からのハイキングコースに合流。北東方向に登って行くと郭4の虎口に達する(11時50分頃)。

①郭4の虎口。ここから郭4へ入る。郭4から北東へ進み、大堀切を横切り、郭2へ。


②郭4と郭2の間の大堀切を郭2側から撮影。郭2の樹木は伐採作業中だった(景観整備の一環か?)。


郭2から北東に進み郭1の南虎口へ。

③郭1南土塁内側。発掘調査により、郭1の南虎口(画面右端)から東虎口にかけての土塁内側に雛壇状の石積(3段)が見つかったが埋め戻されている。


④郭1から東方向(槻川・都幾川の下流方向)の眺望。東方向には菅谷館(城)、松山城がある。


⑤郭1の北側にある枡形虎口。郭1の北虎口から下って行くと、岩盤を掘削して右に折れる枡形虎口がある。


⑥郭1の東虎口を外側から撮影。南脇(画面左)に石積がわずかに見える。郭1の南・東・北虎口には石積が用いられていたようだ。


⑦郭1と郭3の間の堀切。郭1東虎口を出た所にある平場と郭3の間の堀切で、往時は木橋が架けられていたとされる。堀切には岩盤が露出しており、掘削した石材は石垣に用いたのだろうか(地産地消)。


⑧郭3の東側石垣(白く写っているのは土嚢)。城の南東側に突き出ている郭3の東・南・西面の切岸に板状の結晶片岩系石材を積んだ石垣がめぐらされている。郭3の周囲は急斜面上の小道なので滑落リスクに気をつけながら石垣を見て回る。


⑨大福寺平場。郭3をめぐった後、城山の東麓への急傾斜道を下る(登る場合はきつい)と大福寺横にでる。このあたりは大福寺平場と呼ばれており、地下には戦国期の遺構面があるとのこと。手前には横堀跡がある。駐車場があるので、ここに車を止めて、登城するルートになっている。


小倉城は、樹木伐採や説明板設置など環境整備されており見て回りやすい(郭3の外周のみ滑落注意が必要)。滞在時間1時間ほどで12時50分頃、退城。イーグルバスで田黒13時25分発→武蔵嵐山駅西口13時38分着(帰りも乗客は私だけ)、武蔵嵐山駅13時59分発で帰路についた。なお、郭名称などは、ときがわ町ホームページ「小倉城跡パンフレット」による。