西方城のお隣の二条城は標高143mと西方城よりかなり低いが、見学者用駐車場から沢を渡ってからの登り道は急勾配となっている。案内図(縄張図)を見ると本来の大手道は南東側と思われる。
①沢を渡って登り口。右(北)と左(東)に分かれているが、右を選択してみた。

②急勾配を登って行くと主郭北側の曲輪に出る。

③南進して主郭東側曲輪(画面左)を経由して主郭(画面右)へ登る。主郭への登り口は北東隅の細い道なので最初見落としてしまった。2021年の発掘調査現地説明会資料の赤色立体地図(栃木市ウェブサイト)を見ると、主郭の本来の虎口はぐるっと回った西側ではないだろうか。

④主郭内部。内部は削平された四角い平面、周囲は土塁で囲まれその内側と外側上部に石積みの遺構が残っている。

東側から下山してもよかったのだが、慎重を期して登りと同様に北側ルートで下山した。
[メモ]西方町文化財保護ボランティア他編集・発行の西方城パンフレット(栃木市観光協会ウェブサイト)によると、二条城という名は「新城(にいじょう)」が変化したとされる。戦国時代に西方氏によって築かれ、江戸時代初期に藤田信吉が居城として改造したが、1615年または1616年に改易され廃城となった。2019年度から西方城とともに栃木市による発掘調査が行われている。