今回は茨城県の山城、笠間城へ。上野から常磐線特急ときわ57号で友部駅に着いたのは202141日(木)1136分。1150分発の笠間観光周遊バスで日動美術館バス停125分着。途中、笠間城のある佐白山(さしろさん)の全景がよく見えたのだが撮影を忘れてしまった。佐白山は笠間盆地の東に位置し、標高205m(地理院地図)、バス停からは比高155mと適度な高さである。笠間城は、笠間氏が築いた中世山城を蒲生秀行の家臣蒲生郷成(城主15981601年)が石垣・天守を備えた近世山城に改造したとされる。浅野長直の城主時期(16321645年)にバス停のあたりに下屋敷を築いて御殿・藩庁を移転した後も山城の維持管理は続けられたが、明治維新後に廃城となり建物は撤去された。現在、本丸・天守曲輪跡は笠間市指定史跡となっているが、笠間市では国指定史跡をめざして測量調査など保存整備事業を実施している。まず、復元ジオラマなどを展示している「かさま歴史交流館」井筒屋を訪れ、詳細な測量図付のパンフレットを入手。そこから、東方向の佐白山をめざす。

①途中にある大黒石。鎌倉時代に佐白山にあった正福寺が徳蔵寺と争った際、山上から大黒石が転がってきて難を逃れたという伝説がある。お寺間の争いについては、13世紀前半に正福寺からの助力要請を受けた宇都宮頼綱が一族の時朝を派遣、時朝は徳蔵寺、次いで正福寺も制圧し、笠間氏初代となり佐白山に笠間城を築いたという伝承がある。


②空堀跡。佐白山の北隣山麓を廻る空堀で、正保城絵図にも空堀として描かれ山中には正福寺(明治維新後焼失し麓に移転)が描かれているが、戦国時代には砦もあったのでは。


③的場丸(千人溜)。道を右折すると的場丸、現在は駐車場となっている。的場丸を真っ直ぐ進むと大手門跡へ。


④大手門跡。空堀の前は枡形空間となっており、空堀を渡った所に櫓門(正保城絵図)があった。


門を入った内側の斜面は石垣造り、土留のためだろうか。石垣造りの斜面を登ると帯曲輪に着く。さらに登ると中ノ門跡へ。

⑤中ノ門跡。斜面を登り右折して石段を上がったところが中ノ門跡。


さらに登って二ノ門跡を経て本丸玄関門跡へ。

⑥本丸玄関門跡。門下には枡形状に石垣が築かれている。


⑦本丸内の土塁。本丸の南側に土塁が築かれておりその東端に八幡台櫓があった。


⑧本丸側から天守曲輪入口を撮影。本丸東側から空堀を渡ると山頂の天守曲輪への登山道となる。


⑨天守曲輪の下段石垣。2011年の東日本大震災で石垣の一部が崩落、応急処置されシートで覆われた状態となっている。シートで覆われていない隅角部はきれいな算木積みとなっており江戸時代以降のものと思われる。


⑩天守曲輪の中・上段石垣。地山(花崗岩)の大石と割石が組み合わさった石垣で隅角部の算木積みは未完成なので蒲生郷成期のものかもしれない。


⑪天守跡。独立峰の頂上に天守のみ築いているのは大変珍しいのでは(全国で唯一?)。古来、信仰の山だったので神聖な場所と意識してのことだろうか。二層の天守があったが、廃城後、築城以前に鎮座していた佐志能神社を戻し天守廃材を用いて拝殿を造ったとされる。


下山して、歴史交流館前の通りを北へ700mほど歩いて真浄寺へ。廃城後に移築され仏堂として利用されている八幡台櫓が残されている。

⑫八幡台櫓。正面からの写真はよく見かけるので、斜め後ろから撮影。1969年に茨城県指定文化財となり1974年に解体修理が行われ現在の姿となっている。


帰りは笠間駅1459分発の水戸線で友部駅に向かい常磐線で帰途についた。