2019年4月13日(土)。石垣山城の次の目的地は、沼津市の興国寺城。伊勢宗瑞(北条早雲)が今川家のもとで1488年頃、城主となった城として有名。その後、今川氏・北条氏・武田氏の争奪戦の渦中に置かれ、1582年からは徳川家康支配下、1590年からは駿府城に入った中村一氏支配下、関ヶ原の戦い後に徳川譜代の天野康景が城主となったが1607年に部下の盗人殺害事件(盗人は天領農民だったため訴訟)の責任を取り出奔したため廃城となった。

こだま655号の車内で小田原駅で購入した鯛めしを味わい、13時21分三島駅着。JR東海道線に乗換え、13時43分原駅に到着。ここから徒歩で、愛鷹山から突き出ている尾根(舌状台地?)を利用して築かれた興国寺城を目指す。14時17分頃、堀跡とされる弁天池に到着。このあたり道路を挟んで往時は三の丸であった。構造としては、北から南へ、北曲輪、本丸、二の丸、三の丸の順に配置されている。

①弁天池。この奥が城跡。


②道路を横断した側の三の丸。画面左に富士山が見えるところ少し雲に隠れている。


③さらに進んで二の丸へ。


④さらに進んで本丸へ。本丸の奥に穂見神社があり、そこに設置されている続100名城スタンプと興国寺城跡パンフレット(沼津市文化財センター)を入手。本丸奥の台地状のところに伝天守台がある。


⑤本丸奥の台地上の伝天守台へ登る途中に伝天守台石垣が残っている(石垣はこの箇所だけ)。


⑥伝天守台から本丸東土塁を撮影。本丸は東と西の土塁で守られている。


⑦伝天守台から本丸西土塁を撮影。


⑧台地の北側は、大空堀となっている。興国寺城最大の見所。この北側は北曲輪でその中をくり抜いて新幹線が通っている。


14時45分頃、下城。原駅15時21分発、三島駅15時37分着、三島駅発15時50分のこだま658号で帰途につく。三島駅ではお土産に港あじ鮨を購入。本日、石垣山城と興国寺城あわせて23,776歩を記録。