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鳥羽山城 2020.2.11 [静岡県]

鳥羽山城は、天竜川扇状地の頂点北側の丘陵上に位置し(浜松市天竜区二俣町)、1575年に徳川家康が二俣城を武田氏から奪還するために本陣を置いた地であるが、現在残る石垣等の遺構は1590年~1600年に領主となった豊臣系大名の堀尾氏時代のものとされ、大規模な大手道や枯山水庭園の遺構があることから御殿的要素が強く、隣接する軍事拠点の二俣城と機能を分けていたと見られる。堀尾氏転封後は廃城となった。2018年に、二俣城とセット(別城一郭)で国指定史跡となった。

2020年2月11日(火)、遠鉄電車の終点:西鹿島駅を12時44分下車後、北西方向へ進み天竜川に架かる鹿島橋を渡る。対岸の小高い山が鳥羽山城である。

①鳥羽山城全景を鹿島橋手前から撮影。中心的な遺構は西側(画面左)の山頂(標高108m)にある。

鳥羽山城001鹿島橋より.jpg

②筏問屋(いかだどんや)田代家住宅。橋を渡って、鳥羽山城麓の筏問屋田代家住宅をめざす。田代家住宅の右奥から城山へ登る小道が続いている。田代家は、江戸時代に名主を務めた旧家で筏問屋を営んでいた。現在の主屋は、1859年に再建されたもので登録有形文化財である。(西鹿島駅から田代家住宅まで徒歩25分程度)

鳥羽山城003筏問屋田代家.jpg

③大手道。つづら折りの山道を登りきると、山上をめぐる自動車道路に出る。しばらく西方向へ歩くと本丸へ登る道がある。これが大手道である。発掘調査報告書によると、両側に石垣が設置され、道幅は6~9mと現代の舗装路面より大規模なものだったとのこと。

鳥羽山城008大手道.jpg

④本丸大手門跡。大手道を西方向へ登って行くと、右折して本丸に入る大手門跡がある。門の両側は石垣造りで広い枡形虎口を形成している。角隅部は崩落しているようだ(草刈り直後でないと分かりにくい)。

鳥羽山城011大手門.jpg

⑤本丸東門跡。門の両側は大手門同様に石垣造りで枡形虎口を形成している。角隅部は崩落しているようだ。

鳥羽山城017東門.jpg

⑥本丸枯山水庭園跡。本丸西端の土塁に面して庭園遺構が発掘調査により見つかっている。

鳥羽山城021枯山水.jpg

⑦本丸搦手門跡。本丸北側にあり、門の両側は石垣造りとなっている。角隅部は崩落しているようだ。

鳥羽山城024搦手門.jpg

搦手門跡から本丸を出て、本丸西側下を腰巻石垣の残存状態を見ながら(上部の鉢巻石垣は見落としてしまった)歩き、13時40分頃、自動車道路に下りて次の目的地、二俣城をめざす(鳥羽山城滞在は30分程度)。


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