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利神城 2024.5.13 [兵庫県]

兵庫県西部の佐用町平福にある利神(りかん)城を513日に訪れました。利神城の山城部分は石垣崩落の危険性があるため2001年から入山禁止となり、最近では佐用山城ガイド協会が実施する利神城ガイドツアーに限り登山が可能となっています。そこで、山麓の御殿屋敷跡(居館跡)を中心にめぐることにします。
帰省先の岡山から山陽本線で上郡駅下車、智頭(ちず)急行の智頭線に乗換えて平福駅で下車。無人駅で自動券売機もない(降車時に支払)のですが、巨大な駅舎があります。駅の南側に出ると、その北方向が御殿屋敷跡となります。
南石塁全景。御殿屋敷の南側を山裾から佐用川まで仕切る石塁です。山裾側の石塁は智頭線で分断され、農道から西側の石塁の上部は失われていますが基底部は残存しています。かつては石塁前面に水堀があり、農道のあたりに内枡形虎口があったようです。なお、獣害対策のため耕作地は電気柵で囲まれています。
利神城101南石塁全景.JPG
南石塁の山裾側を通過する列車(特急スーパーいなば)。
利神城103南石塁東側.JPG
農道付近の南石塁。崩落防止のシートやネットが架けられていますが、比較的大きい石材が積まれているようです。
利神城105南石塁東側.jpg
農道を少し北進し、大手枡形虎口の南面を横切ります。
大手枡形虎口南西側。石垣上部は失われていますが、低石垣が残っています。
利神城109大手枡形南側.jpg
大手枡形虎口北西側。北西側の石垣は良く残っています。西面中央が出入口だったようで、かつては山城の登城道に繋がっていたようです(現在の登山道は南尾根道)。
利神城113大手枡形西側.jpg
智頭線の高架下を通って北石塁側に行ってみます。
北石塁内側全景。御殿屋敷の北側を山裾から川岸までL字型に仕切る石塁で、内側は土塁造りです。電気柵が設置されているため、外側に出ることはできません。
利神城116北石塁内側.jpg
そこで引き返して対岸に渡ります。
対岸から見る北石塁。北面は草で隠れていますが、北西隅に比較的大きい石材を不完全な算木積みで積んでいる様子が分かります。
利神城118北石塁西側.jpg
このあと、佐用川の左岸道を南下します。
平福の川端風景。因幡街道の宿場町平福の姿を残す屋敷・土蔵群が佐用川右岸の石垣上に並んでいます。大雨の後なので川水が濁っているのは残念。平福104.jpg
天神橋を渡り佐用川右岸に行き、道の駅「宿場町ひらふく」南側の展望台へ。
展望台から見る利神城。山城の標高は373m、麓の御殿屋敷跡の標高は134mほど。画面右下の建物が駅舎です。
利神城127山城遠景.jpg
展望台の南に、利神城廃城後に平福を支配した旗本松平氏の代官所の陣屋門(1864年建築)が残されています。片方の鴟尾が欠けているようです。
平福106.jpg
道の駅でしばし休憩、駅に戻り帰路につきました。
[メモ]利神城の現在残る遺構は、1600年に播磨国を領した池田輝政の支城として、甥の池田由之が戦国時代の山城を大規模改修したもので、西山麓の御殿屋敷もこのとき築かれました。1631年に平福藩が消滅して廃城となり、御殿屋敷跡は耕作地となりました。2017年に山城と山麓居館跡は国史跡に指定されました。なお、本記事の解説部分はおもに佐用町教育委員会『史跡利神城跡保存活用計画(案)』(20203月)によりました。



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