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富山城 2024.3.31 [富山県]

高岡城跡とは対照的にスクラップアンドビルドの富山城跡。富山駅から市内電車で5分、丸の内で下りるとすぐ南内堀前に着きます。
南内堀。左手前が西之丸跡、その奥が本丸跡。西之丸は本来、堀と土塁で囲まれて本丸と土橋で繋ぐ構造でしたが、廃藩置県後、土塁は崩され南面を除き堀は埋め立てられ公共施設用地となりました(現在は城址公園の一部)。
富山城107南内堀.jpg
本丸鉄(くろがね)門枡形石垣。南側の二之丸から土橋を通り本丸鉄門から入る構造で、富山城では、石垣はここと搦手門周辺、二之丸門周辺だけに用いられ、他は土塁造りでした。石垣は明治以降に積み直された部分が多いそうです。
富山城102本丸南西隅.jpg
鉄門枡形正面の鏡石。2石ありますが1石は松に少し隠れています。能登半島地震のため石垣崩落の危険があるとのことで土橋及び枡形内は通行禁止となっているため、富山城最大の見どころですが遠くから見るだけです。
富山城105鉄門枡形.jpg
④あとで郷土博物館側から見た鉄門枡形両脇の鏡石。左(東)に2石、右(西)に1石、ということで合計5石、陰陽五行説に基づく配置のようです(富山市埋蔵文化センターウェブサイト「富山城研究コーナー」)。
富山城114鉄門枡形.JPG
西の堀端から城址公園に入り、鉄門枡形本丸内側へ。
鉄門枡形本丸内側。通行禁止の規制ラインが設置されています。
富山城113鉄門枡形.jpg
枡形石垣上の天守風建物は、空襲被害からの戦災復興記念として1954年に建設された富山市郷土博物館(耐震工事済み)です。富山城の築城から明治以降の変遷が展示のメインとなっています。
郷土博物館から出て城址公園南東隅に向かいます。
本丸南東隅の天守建設予定地。災害が続き財政難で建設は見送られたようです。
富山城116天守台.jpg
本丸東側に移築された千歳御門があります。
千歳御門(市指定文化財)。東出丸のさらに東側に築かれた千歳御殿(1849年築)の正門で民間に払い下げられた後、2008年に移築されました。
富山城119千歳御門.jpg
千歳御門のあたりは江戸時代には土塁で、本丸東側の入口は東出丸と土橋で繋がっていた北側の搦手門でした。
搦手門跡周辺の石垣。石垣上には城郭風の佐藤記念美術館が建っていますが、左中央付近の石垣は寛文期(1661年~72年)の横目地の通る積み方が残っているとされます(「富山城研究コーナー」)。
富山城124搦手門石垣.jpg
帰りは富山駅まで歩き、高山に向け高山本線特急ひだに乗車します。
[メモ]郷土博物館『富山城ものがたり』によると、富山城は、神通川(当時は城の北を流れていた)の自然堤防の微高地に1543年に神保長職(ながもと)が築き、そののち越後上杉氏、織田家臣佐々成政の支配を経て、加賀前田家支配となり、1605年に前田利長が隠居城として大規模な改修を行い近世城郭として整備しました。しかし、1609年に大火で焼失したため利長は高岡城を築いて移転、1615年に一旦廃城となりました。その後、1639年に加賀藩から富山藩10万石を前田利次に分与、新城を築く予定でしたが断念し、1660年に富山城を居城として整備しました。ところで、富山城は本丸と東・南・西の曲輪と土橋で個別に繋ぐ構造ですが、高岡城は本丸の東から南の曲輪群を連結する構造です。利長が富山城の経験を生かして高岡城を築城したのでしょうか。



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高岡城 2024.3.31 [富山県]

「高岡古城公園景観再生プロジェクト」が2023年度から始まった高岡城跡を331日に訪れます。北陸新幹線富山駅で下りて、あいの風とやま鉄道で高岡駅へ、駅から北東方向へ15分ほど歩くと城跡南隅の堀端に到着。
南東側外堀の枡形堀。左手前が鍛冶丸、その奥が明丸ですが、樹木が生い茂って曲輪として分かりにくい状態です。今後、景観再生プロジェクトでどのように変わって行くのでしょうか。
高岡城101枡形堀.jpg
大手口から土橋を通り鍛冶丸にある高岡市立博物館に入り見学。
鍛冶丸から二の丸・本丸間の土橋東側石垣を撮影。石材は石灰質砂岩(富山湾西岸)、花崗岩、安山岩などだそうです。高岡城跡の石垣はこの土橋の両側のみに残っています。
高岡城109本丸土橋東側.jpg
鍛冶丸から西方向の土橋を通り二の丸へ、二の丸から土橋を通り本丸へ進み、本丸下の遊歩道(犬走?)へ下りて土橋西側石垣を見に行きます。
二の丸・本丸間の土橋西側石垣。石垣を間近に見ることができますが、残念ながら苔で覆われています。景観が整備されれば他にない撮影スポットになりそうです。
高岡城111本丸土橋西側.jpg
本丸内に戻って西進し、西外堀に架かる本丸橋を渡って堀端に出ます。
西外堀側から二の丸(右)・西内堀・土橋・本丸(左)を撮影。
高岡城114西外堀から本丸土橋.jpg
堀端を北方向に進みます。
本丸北隅。本丸北西側は台地の崖となっており、高低差は12mほどです。北隅は天守建設予定地だったと考えられています。
高岡城117本丸北西隅.jpg
堀端を東方向へ進み、三の丸へ。
三の丸から本丸東隅を撮影。景観再生プロジェクトで生い茂った樹木が伐採されて本丸の輪郭がはっきり、堀も広く見えます。
高岡城119本丸北東隅.jpg
三の丸から土橋を通って明丸へ。現在は動物園となっていますが、その裏側は土塁遺構が最も良く残っている場所です。
明丸土塁遺構。
高岡城122明丸北東土塁.jpg
明丸→鍛冶丸→二の丸を通って駐春橋を渡り退城。
高岡大仏、旧高岡共立銀行本店などを見学したのち、高岡駅から富山駅に戻ります。
[メモ]高岡城は、1609年に前田利長が隠居城としていた富山城の大火による焼失のため、新たに隠居城として千保(せんぼ)川(当時は庄川本流)がつくった沼沢地に接する台地上に築かれました。1615年の一国一城令により廃城となったあとも金沢藩高岡町奉行の管理下に保存され、明治の廃藩置県後には近代公園として整備され、2015年には国史跡に指定されました。本丸の南から東にかけて曲輪群を土橋で連結(連続馬出)して防御力を高めているのが特徴ですが、樹木伐採整理が進めばその特徴が実感できると思います。



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