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岡城(2) 2022.5.23 [大分県]

岡城西の丸から東方向の台地の狭まったところに設けられた西仕切門を通り三の丸・二の丸・本丸へ。
①西仕切門跡。喰違虎口で右折したところに門があった。
岡城150西仕切門跡.jpg
②西仕切門の左側から撮影した三の丸西側石垣。定番の撮影スポットだが、草で覆われて石垣がよく見えないのは残念。
岡城151三の丸西石垣.jpg
西仕切門から入ったエリアは太鼓櫓門前の枡形空間となっている。
③太鼓櫓門跡。大石を用いた切込接ぎの石垣、右側の櫓台石垣には六角形石を中心に花模様のように見える所がある。
岡城155太鼓櫓跡.jpg
太鼓櫓門から入ったエリアは三の丸前の枡形空間で、大石(鏡石)が据えられている。
④三の丸前の大石(鏡石)。正面側と左側に据えられている。城内最大の石は太鼓櫓門前の左側にあるようだが見逃してしまった。
岡城156太鼓櫓跡.jpg
三の丸から二の丸へ。
⑤二の丸西側石垣。残念ながら草で覆われている。先端部に月見櫓があった。
岡城165二の丸西石垣.jpg
⑥二の丸月見櫓跡からの眺望。谷底に城の北側を流れる稲葉川が見える。
岡城168二の丸から稲葉川.jpg
本丸に登る。
⑦本丸から西方向の中川覚左衛門屋敷跡の眺望。
岡城163本丸から西の丸2.jpg
本丸から降りて、東方向へ向かう。
⑧本丸南隅にある三階櫓台石垣。なぜか天守とは呼ばれていない。
岡城172三階櫓石垣.jpg
⑨本丸東下からの眺望。谷底に城の南東を流れる白滝川が見える。草刈りの跡も見える。
岡城176白滝川.jpg
本丸東隣の狭まったところに設けられた東仕切門。
⑩東仕切門跡。左折したところに門があった。奥は本丸東端石垣。
岡城181東仕切門跡.jpg
さらに東に進む。
⑪廟所跡。歴代藩主の位牌が祀られていたところ。元々は志賀氏時代の城の中心部とされる。
岡城185廟所跡.jpg
東端にあるのが下原門。
⑫下原門跡。右側の櫓台石垣は打込み接ぎに切込接ぎが継ぎ足されている(補修?)。
岡城188下原門跡.jpg
このあと大手門まで引き返し下山。市内に戻って殿町武家屋敷跡を通り、竹田市歴史文化館で岡城跡ジオラマ(復元模型ではない)などを見学。帰りは、特急バス「やまびこ号」(全席予約だが、竹田からのように短い区間は予約できない。空いてはいましたが。)で竹田温泉花水木1324分発→要町(大分駅前)1419分着。大分駅前15時発のエアライナー(満席)で大分空港に向かい帰路についた。



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岡城(1) 2022.5.23 [大分県]

2022523日(月)、JR豊肥本線で大分駅発824分→豊後竹田(たけた)駅941分着。駅(標高240m)から南東方向の岡城跡をめざして30分ほど歩く。広瀬神社脇のトンネルを通り、さらに進んで分岐路の上道を進みトンネルを通り抜けて少し登ると岡城駐車場・料金所の広場(総役所跡、標高283m)に出る。
①駐車場・料金所から西の丸を撮影。岡城の立地する断崖絶壁は、阿蘇山の火砕流堆積物が河川(大野川の支流の稲葉川(北)と白滝川(南))などによって浸食されたもののようだ。
岡城102駐車場から.jpg
観覧料300円を払って入城。
②大手門下。ジグザグの坂道を登った先に大手門がある。坂道の崖側に沿ってかまぼこ形の石垣塀が築かれている。石垣に使用されている石材は阿蘇溶結凝灰岩で加工しやすいらしい。
岡城106大手門前2.jpg
③大手門跡。左側の櫓台石垣の上端の凸凹は櫓門の梁を通す石組みとのこと。右側の櫓台石垣は真ん中の巨石(鏡石)が口を開けて笑っているような形なので笑い積みと呼ばれる。
岡城110大手門跡.jpg
大手門から先の標高は310320mでほぼフラット。
④大手門からの本丸南側の眺望。南側は草刈り直後のようで、断崖絶壁の上に石垣が築かれているのが良く分かる。
岡城118本丸方向.jpg
本丸方向は後回しにして西の丸とその周囲の重臣屋敷跡へ。
⑤西の丸東側。西の丸は1664年に完成し、御殿機能は本丸から西の丸へ移った。
岡城119西の丸東門跡.jpg
西端まで行ってみる。
⑥西の丸西端。先端部に物見櫓があったらしい。
岡城126西の丸西側.jpg
北に進み、中川民部屋敷跡を横断して西側入口の近戸門へ。
⑦近戸門跡。つづら折りの坂道を下ると駐車場・料金所に至るが、現在は「落石注意 立入禁止」となっている。
岡城138近戸門跡.jpg
⑧普請方跡(左)と中川民部屋敷跡(右)の間の通り。ここを通って東側へ出る。
岡城139普請方跡.jpg
⑨北方向の中川覚左衛門屋敷跡に続く石垣。中川覚左衛門屋敷跡からの本丸・二の丸・三の丸西側の眺望がすばらしいと後で知ったが見逃してしまった。
岡城142家老屋敷跡.jpg
東方向の賄方跡を経て中川但見屋敷跡へ。
⑩中川但見屋敷跡北東側石垣。崖側には見事な石垣が築かれている。
岡城148家老屋敷跡.jpg
このあと本丸・二の丸・三の丸へ。
[メモ]岡城は大友一族の志賀氏が14世紀から居城としていたが、大友氏改易後の1594年に入った豊臣秀吉配下の中川秀成が石垣造りの近世城郭に改造した。明治になって廃城後建物は失われたが、石垣は残り1936年には国史跡に指定された。なお、石垣についての解説は、駅前の観光案内所で入手した『岡城の楽しみ方 石垣の魅力』(岡の里事業実行委員会、2020年)によりました。


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府内城 2022.5.23 [大分県]

2022523日(月)の早朝、大分市内のホテルから歩いて府内城へ向かう。大分市ウェブサイトには「PCR用検体採取場設置のため大分城址公園の内苑(お堀の内側)が利用できません。散策等での通り抜けもできませんのでご注意ください。」とあり、外周から見るだけと思っていたが、訪問時には入れるようになっていた。
内堀内の縄張り略図と今回の歩行ルート(オレンジ色)。まず、西南隅から。
府内城縄張略図.jpg
①西南隅からの景観。左から西之丸西南隅櫓、出合曲輪宗門櫓、同大手口多聞櫓、東之丸着到櫓が並ぶ定番の撮影スポット。
府内城101西之丸西南隅.jpg
宗門櫓は1859年に再建された現存建物、他は1945年の空襲で焼失し1966年に外観復元されたもの。なお、内堀の石垣裾部の犬走りは近代以降に整備されたもの。
時計回りに西側から北側へ。
②北側の廊下橋。西之丸と北之丸(中里丸)を結ぶ廊下橋で1996年に再建された。
府内城105廊下橋.jpg
廊下橋を渡り西之丸北枡形虎口へ。
③西之丸北枡形虎口を内側から撮影。右端は本丸への土橋跡。
府内城108廊下橋.jpg
本丸へは内々堀の土橋を渡り本丸(天守丸)西枡形虎口から入るルートだったが、土橋の遺構が残るのみ。本丸と西之丸・東之丸の間にあった内々堀は大正時代の県庁舎建設にあたり埋め立てられた。
④天守台石垣。野面積みで隅角部は大石を用いた算木積み。
府内城111天守台.jpg
この上に4層の天守が1602年に築かれたが、1743年に焼失。天守は櫓・櫓門と連結して方形に囲んだ天守丸を構成していたが、大正時代に北側の石垣を除き撤去・整地された。
内堀外周に戻って北側から東側へ。
⑤本丸人質櫓。1861年に再建された現存建物で天守北側の突出部に位置する。
府内城114人質櫓.jpg
⑥東之丸南東隅。中央突出部は福原氏が築いた三階櫓跡の石垣、左・右(南・北)の櫓は模擬櫓として1966年に建設されたもの。
府内城119東之丸東面.jpg
東側から南側へ。
⑦大手口。大手口も廊下橋が架かっていたが、現在は土橋となっている。
府内城122大手口.jpg
このあと大分駅824分発のJR豊肥本線で竹田市へ向かう。
[メモ]府内城は、ポスト大友で豊後に乗り込んできた豊臣家臣団のうち福原直高が1597年に大分川河口近くに築き始めた平城で、関ヶ原合戦後に入った竹中重利が城下町を含めて1608年までに完成させた。明治になって廃城後、中堀・外堀は埋め立てられて市街地化し、内堀内には県庁舎が置かれていたが、1962年県庁舎移転後に公園として整備され県史跡に指定された。近世平城らしい縄張りだが、内々堀や天守丸の遺構が少ないのが残念。なお、本記事の解説内容は大分市「大分城址公園整備・活用基本計画」(20172月)によりました。


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臼杵城 2022.5.22 [大分県]

2022年5月22日、JR日豊本線特急にちりん14号で佐伯駅発1640分→臼杵駅178分着。まず城跡西側の大手門跡付近にある臼杵市観光交流プラザに行き「臼杵城跡」パンフレットを入手。臼杵城は、1556年頃に大友義鎮が北・東・南が海に囲まれた丹生嶋(にうしま)に居城として築いたもので、1593年の大友氏改易後は豊臣秀吉家臣の福原直高、太田一吉による改造、1600年以降は稲葉氏による改造が行われた。明治以降廃城となり丹生嶋の周囲も埋め立てられたが、丹生嶋部分は公園化され県史跡に指定されている。
古橋(ふるはし)口へ向かう。
①古橋口。この橋の両側のみ水堀が残っている。大友氏時代からの登城路、橋を渡って外枡形のような曲輪に入り、鐙(あぶみ)坂と呼ばれる坂道を登るルートだが、岩盤崩落の危険性があるため通行止めとのこと。
臼杵城109古橋口.jpg
迂回路の今橋口から入ることに。丹生嶋部分の縄張り略図と今回の歩行ルート(オレンジ色)。
臼杵城縄張り図.jpg
②今橋口。稲葉氏入城後に造られた登城路。枡形虎口があったが遺構は残っていない。
臼杵城122今橋口.jpg
二の丸北側石垣に沿って東へ進む。
③二の丸着見櫓台石垣。二の丸北側で最も見映えのする石垣。
臼杵城124着見櫓台.jpg
着見櫓台の先で二の丸跡に入り、西方向へ戻り鐙坂の上まで行ってみる。
④鐙坂の上。鐙坂を登り切ると逆方向へ旋回する登城路が続く。画面中央は二の丸西入口の大門(だいもん)櫓(近年、模擬櫓門として木造で建設されたもの)で稲葉氏入城後に整備されたもの(それ以前は二の丸北側を迂回していた)。
臼杵城128中門跡.jpg
⑤畳櫓。鐙坂の突き当たりにあるのが畳櫓。明和年間(現地説明板)または天保年間(パンフレット記載)に再建されたもの。
臼杵城129畳櫓.jpg
再度、大門櫓から二の丸へ入り、神社・多目的グランドの横を通って東側の本丸に向かう。
⑥本丸・二の丸間の南側空堀。稲葉氏入城後に造られたとされる。この時期は草に覆われて石垣がよく見えないのは残念。
臼杵城139本丸・二の丸空堀.jpg
⑦草に覆われた天守台石垣。天守台石垣は福原氏時代に築かれた遺構と考えられている。本来は7mの高さがあったが、大正時代に公園整備に際し上部4mほどが壊された。隅角部石垣も崩されているようだ。この上に34階の天守が廃城まで維持されていた。
臼杵城143天守台北西隅.jpg
⑧鉄(くろがね)門跡を本丸内側から撮影。稲葉氏入城後に造られた本丸西入口の枡形虎口だが、北側石垣(画面右側)は失われて南側のみ残る。
臼杵城153鉄門跡.jpg
⑨卯寅口(うとのくち)門脇櫓を本丸側から撮影。1854年に再建されたもので2層3重(地下1階)。卯寅口門跡(東北東入口)は手前の低地の先にあり、緊急時の海への脱出ルートとされる。
臼杵城157卯寅口門脇櫓.jpg
⑩本丸東端。断崖絶壁の雰囲気が残る。
臼杵城102東端.jpg
臼杵駅に戻り1842分発のJR日豊本線で宿泊地の大分市へ向かう。



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佐伯城 2022.5.22 [大分県]

大分県南部の城めぐり、まず佐伯(さいき)城から。2022522日(日)、大分空港1140分到着後、大分交通の佐臼ライナーで佐伯市へ向かう(空港1155分発→大手前1355分着)。飛行機はほぼ満席だったが、このバスはゆとり大。佐伯城大手門跡前のバス停の西方向が城跡となる。
①大手前から城山を撮影。正面が三の丸櫓門、背後が城山(標高146m)。
佐伯城102大手門跡から.jpg
②三の丸櫓門。櫓門は1832年に建て替えられたもので城内に現存する唯一の建物(県指定有形文化財)。
佐伯城104三の丸櫓門.jpg
三の丸内には御殿があり、明治に入って廃城後も役所や学校などとして利用されたが、次第に解体が進み1970年に残存建物は市内船頭町に移築された(「住吉御殿」現存)。移築後建設された佐伯文化会館も老朽化により現在解体撤去工事中で三の丸内へは立入禁止となっている。このあと発掘調査するのだろうか。

三の丸から城山へ登る道は3ルートあるが、江戸時代から使用されていた「登城の道」を登る。
山城部分の縄張り略図。オレンジ色が今回の歩行ルート。
佐伯城縄張略図.jpg
つづら折りの道を20分ほど登って西出丸東虎口の冠木門跡へ。
③西出丸冠木門跡を右上から撮影。枡形虎口ではないが登城路を左折して入るので防御力はそれなりにありそう。
佐伯城130西出丸冠木門跡.jpg
西出丸を北へ進み二の丸入口の櫓門跡へ。
④二の丸櫓門跡。櫓門が前面にありそのあと石垣に囲まれた通路を斜め右に曲がる特異な構造。
佐伯城134二の丸櫓門跡.jpg
二の丸を北東へ進み本丸へ。
⑤二の丸から本丸南側を撮影。本丸石垣の下には本丸外曲輪が廻っている。
佐伯城142二の丸から本丸南側.jpg
二の丸から廊下橋を渡って本丸へ入る。
⑥廊下橋跡。現在はコンクリート橋が架かっているが、江戸時代には廊下橋(屋根のついた廊下)が架かっていた。
佐伯城177廊下橋.jpg
廊下橋跡を渡り石段を登って本丸へ。
⑦天守台。本丸の西半分の大半を占める。関ヶ原合戦後、佐伯地域に配置された毛利高政が1602年から4年をかけて築城した際に三層の天守を建てたと伝わるが1709年までには失われた。現在残る天守台が築城当時のものかどうかは明らかになっていない(未発掘)。
佐伯城148天守台北東隅.jpg
本丸東側の近代に造られたコンクリート階段(本来は二重櫓があった場所)を降りて本丸外曲輪へ。
⑧本丸外曲輪から東方向(佐伯湾)の眺望。
佐伯城150本丸外曲輪から東方向.jpg
本丸外曲輪北虎口の櫓門跡から北出丸へ。
⑨北出丸側から本丸外曲輪櫓門跡を撮影。喰違虎口だが、手前の櫓台の上部石垣が失われている。
佐伯城156本丸外曲輪櫓門跡.jpg
北出丸西虎口の冠木門(水の手門)跡から「若宮の道」を下り雄池へ。
⑩雄池(おんいけ)。岩盤を平面方形に掘削した人工池。池奥には土留めの石垣を築いている。
佐伯城161雄池.jpg
さらにこの下の雌池(めんいけ)を見たあと、再度登って北出丸下を廻る「北側園路」を通り雛壇状石垣を見に行く。
⑪雛壇状石垣。画面の右最上部が本丸石垣、その下が本丸外曲輪石垣、さらにその下段以降が4段に築かれた雛壇状石垣で、豪雨で崩落した斜面の修復と補強のために1735年に築かれた石垣。樹木が伐採されて見やすくなっている。
佐伯城168多段石垣.jpg
「独步碑の道」に合流し本丸外曲輪東虎口の冠木門跡から入り、本丸外曲輪南側を通り廊下橋の下へ。
⑫廊下橋下の冠木門跡。「登城の道」の分岐ルートから廊下橋の手前で折れて二の丸に入る入口。
佐伯城172廊下橋下冠木門跡.jpg
この分岐ルートから下山。佐伯市歴史資料館で復元模型を見学したあと、武家屋敷の雰囲気を残す山際通りへ。途中、城下町観光交流館で一休みし、JR日豊本線佐伯駅1640分発で臼杵へ向かう。なお、本記事の解説内容は、佐伯市教育委員会「佐伯城跡総合調査報告書総論編」(20223月、Web版)によりました。[追記]20233月、国史跡に指定されました。



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