赤木城(2) 2023.2.28 [三重県]
赤木城跡直下の駐車場に着き、いよいよ城内へ。
①坂道を登った所にある東郭の門跡。このあたり石垣が一部失われているようだ。ここから城内に入り右折前進し、さらに右折して主郭虎口へ。
②主郭虎口。連続外枡形(左折、左折、右折)+内枡形(左折)という複雑な構造となっている最大の見所。
③内枡形の入口となる主郭の門跡。巨石が鏡石として使用されているようだ。
④主郭の北端から見おろす北郭。
⑤主郭周囲の石垣を見ながら半周して主郭南西隅突出部へ。隅角部は細長く大きい石を用いた算木積みとなっている。
⑥四つの曲輪が階段状に連なる西郭に下りて行く。
⑦さらに小道を下ると麓の南郭に至る。南郭は生活空間だったと考えられている。
16世紀末に築かれた野面積み石垣を堪能し、熊野市駅前に戻る。火曜日だが閑散期のためか駅前の飲食店は閉まっているため、少し離れた「熊野古道おもてなし館」で地鶏うどんを食べ、特急南紀6号に乗り名古屋経由で帰路についた。
赤木城(1) 2023.2.28 [三重県]
新宮駅を出発して熊野川を渡ると三重県になる。紀伊国=和歌山県と思っていたが、調べてみると紀伊国牟婁(むろ)郡の熊野川以東は三重県になっていた。三重県の熊野市駅には特急南紀4号で9時32分に到着。午前中のあいだに赤木城跡と往復するため、2時間半コースの観光タクシーを利用する。ベテランの運転手さんの案内で、まず海岸線の獅子岩へ。確かにライオンの吼えている姿に似ている。
次いで丸山千枚田へ。見おろした後、近くまで行ってみる。棚田の土手には段々に石垣が築かれており、石材が入手しやすかったものと思われる。
パンフレットによると、この棚田がいつ頃造成されたか不明ながら、1601年には2,240枚の田があったという。戦後の一時期、過疎・高齢化により530枚まで減少したが、復元・保全活動により1,340枚まで回復、日本でも最大規模の棚田となっている。
そして赤木城跡南面全景を見渡せる撮影地点へ。
赤木城は、700m前後の山々に囲まれた谷間の丘陵(標高230m)に築かれている。頂上部に主郭、その手前に東郭、画面左端に西郭、東郭と西郭の間の山裾に南郭、主郭の後方に北郭という構造だった。
[メモ]赤木城は、1588年頃に、豊臣秀長の家臣だった藤堂高虎が熊野川支流の北山川流域の支配のために築いたとされ、元和の一国一城令(1615年)により廃城になったと思われる。1989年に史跡に指定された後、発掘調査と石垣などの整備工事が行われ、現在の姿となっている。