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丸亀城 2014.3.22 [香川県]

丸亀城を訪れたのは2014322日(土)のこと。帰省先の岡山からJR快速マリンライナーで坂出駅へ、予讃線に乗換て丸亀駅下車。丸亀駅から南方向へ10分程度歩いて大手門前へ。丸亀城は、亀山(標高66m)に生駒親正が1597年から築城を始めたが1615年の一国一城令で廃城、生駒氏転封後に西讃岐の領主となった山崎家治が1643年から幕府の支援を受け再築を始めたが途中で絶家、その後を京極氏が引継ぎ現在残る形となった。現在、内堀以内の城跡は公園になり、国指定史跡となっている。

①北面全景。中腹の三の丸石垣の上に二の丸石垣(画面左側)、本丸石垣(画面右側)がそびえる。

丸亀城101全景.jpg

②大手門。京極氏時代の1670年に完成。枡形虎口となっており高麗門、櫓門とも重要文化財。

丸亀城108大手門.jpg

大手門から入った平地エリアは山下曲輪と呼ばれている。山下曲輪の西側には京極氏時代の居館(御殿)があり、玄関先御門とそれに接続する番所・御駕籠部屋・長屋が残っている(県指定文化財)。

③藩主玄関先御門。御殿自体は1869年に出火で焼失。現在は丸亀市立資料館がある。

丸亀城113玄関先御門.jpg

大手登城路に戻って、見返り坂を登り三の丸へ。

④三の丸北側石垣。高さ22mくらいとのこと。軍事的緊張緩和の17世紀中頃に高石垣を廻らしたのは城持大名の願望、権力の象徴の具現化だったのだろうか。

丸亀城115三の丸石垣.jpg

三の丸から二の丸へ。

⑤二の丸東虎口。外枡形虎口となっている。

丸亀城118二の丸東虎口.jpg

二の丸から本丸へ入る。

⑥天守南面(本丸側)。天守は京極氏時代の1660年に完成したもので重要文化財となっている。往時は天守の左右に多聞櫓が接続していた。天守に上る。

丸亀城121天守南側.jpg

⑦天守から瀬戸内海側の眺望。

丸亀城126天守より.jpg

本丸から二の丸に戻り、二の丸搦手口から三の丸へ。

⑧本丸北面。画面下の虎口が二の丸搦手口。

丸亀城133本丸北西.jpg

三の丸南側に回って三の丸搦手口から下山する。

⑨搦手口付近の三の丸(画面上)と帯曲輪(画面下)の石垣。山崎氏時代は南側が大手口であったため堅固に造られていたとされる。

丸亀城135南側帯曲輪石垣.jpg

⑩麓から南面石垣を撮影。

丸亀城136南側石垣.jpg

訪問後の20187月・10月に画面左側の三の丸南西隅石垣とその下の帯曲輪石垣が崩落、現在も復旧工事が続いている。崩落発生要因は、南西方向に岩盤が傾斜しており浸透水が流れやすいこと、盛り土の上に高石垣が造られていることなどとされている(丸亀市による丸亀城ウェブサイトによる)。

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高松城 2016.12.24 [香川県]

各紙に報道されたように2020年4月17日文化庁のリリースによると、文化審議会文化財分科会(時節柄、持ち回り開催)が「史跡等における歴史的建造物の復元等に関する基準」を決定、従来の厳密な「復元」とは別に「復元的整備」という項目が設けられ、「往時の歴史的建造物の規模、材料、内部・外部の意匠・構造等の一部について、学術的な調査を尽くしても史資料が十分に揃わない場合に、それらを多角的に検証して再現することで、史跡等全体の保存及び活用を推進する行為」もOKとなった。

高松市は、高松城天守復元を目指して、天守台石垣の解体修理・発掘調査のほか文献資料の調査・探索を行っているが、今回の基準設定により「復元的整備」が可能となったようだ(高松城跡は国指定史跡)。

高松城を訪れたのは2016年12月24日のこと。帰省中の岡山からJR快速マリンライナーで高松駅へ。高松駅から東へ2~3分歩くと二の丸西入口(玉藻公園西入口)に着く(入場料200円、現在も同じ)。

①二の丸西入口。往時は二の丸堀があり、刎橋(はねばし)口といわれていたようだ。

高松城001二の丸西入口.jpg

②二の丸から南側の本丸へは鞘橋(さやばし)を渡って行く。天守台から鞘橋を撮影。現在の橋は2011年に解体修理されたもの。

高松城014天守台より北西.jpg

③天守台南東面を三の丸側から撮影。天守台は、2006年から2013年まで発掘調査・解体・修復工事が行われた。

隅角部は算木積みだがそれ以外は野面積みである。

高松城010天守台.jpg

④天守復元模型(南面)。三の丸の陳列館に展示されている。三層四階で最上階が張り出す南蛮造り。南面と東面の古写真・古記録などから外観はかなり正確な復元が可能となったが、内部の構造・意匠に関する資料の探索・調査が復元のための課題となっている。天守は、豊臣系大名の生駒氏によって最初に築かれ、生駒氏改易後に入った松平頼重によって1670年に改築され明治維新後も残っていたが、老朽化のため1884年(明治17年)に解体された。

高松城041陳列館内模型.jpg

⑤北の丸西端に現存する月見櫓(着見櫓)・水手御門・渡櫓(1676年築、いずれも重文)。北の丸は、松平頼重により埋立て増設された曲輪で、かつては瀬戸内海に面していた。

高松城018月見櫓・水手御門・渡櫓.jpg

⑥艮(うしとら)櫓(重文)南東面。1677年に竣工したもので、以前は史跡範囲外の東の丸北東隅(うしとら方向)にあったが、1967年に三の丸の南側、桜の馬場の南東隅(太鼓櫓跡)に移築された。

高松城028艮櫓 .jpg

⑦艮櫓台北東面。現在、レクザムホール(香川県県民ホール)の北東隅に東の丸艮櫓台が残っている。かつては瀬戸内海に面していた。

高松城130艮櫓台.jpg

⑧琴電高松築港駅。本丸・二の丸の西堀跡は駅のホームとなっている。

高松城039琴電より本丸.jpg

埋立てにより海城という雰囲気は失われたが、三重櫓が2棟現存しているのは貴重。


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