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松尾山城 2024.3.7 [岐阜県]

いつもは新幹線で通過するだけの関ヶ原ですが、37日は関ヶ原町の松尾山城跡を訪れます。名古屋駅から東海道本線に乗り、大垣駅乗換えで関ヶ原駅へ。駅前の観光交流館で「松尾山城散策マップ」を入手、レンタルサイクルで松尾山北麓に向かいます。ルートマップに沿って15分ほど自転車で行くと山麓駐車場に到着。
登山口。このルートは東海道自然歩道となっておりきれいに整備されています。登山口の標高は100mほど、山頂は293mなので比高193mです。
松尾山城102登山口.jpg
10分ほど登ると標高189m付近の分岐点へ。ここからは西方向へ尾根沿いの道を歩きます。
松尾山城139分岐点.jpg
15分ほど尾根沿いの道を登って行くと「東の曲輪」北斜面下に到達。
松尾山城103東の曲輪下.jpg
さらに登って行き「主郭」北東斜面下へ。右(西)へ行くのがかつての登城路と思われますが、これは帰り道に取っておき、行きは自然歩道に沿って真っ直ぐに主郭へ登ります。
松尾山城107主郭北東隅.jpg
主郭北東隅からの眺望。関ヶ原合戦の主戦場はよく見えますが、新幹線は麓に近すぎて木立越しにかすかに見える程度なので、新幹線A席から松尾山頂が見るかどうか微妙。
松尾山城110主郭からの眺望.jpg
主郭の土塁。主郭自体は狭いので、1600915日朝は小早川秀秋軍の首脳陣しかいなかったようです。
松尾山城116主郭土塁.jpg
主郭南の枡形虎口。枡形内を左折する構造です。
松尾山城119主郭虎口.jpg
虎口脇の土塁から虎口下を見おろすと斜めの坂道が虎口に続いており、坂虎口と枡形虎口の組み合わせとなっています。坂道を下った先は「馬出状の曲輪」です。
松尾山城121主郭南下.jpg
馬出状の曲輪の南面の虎口と土橋。ここからさらに南に下って行くのが自然歩道ルートですが、引き返して主郭西斜面下へ行きます。
松尾山城125馬出状の曲輪南土橋.jpg
主郭西斜面下の空堀と西の曲輪。空堀は主郭と西の曲輪の間の谷間に位置し、地図で見るとこの南方向は谷川になっています。西の曲輪は、登ってみると長方形の平坦地となっています。
松尾山城129西の曲輪.jpg
空堀の北側には、喰違土塁が設置されています。
松尾山城134喰違土塁.jpg
主郭の北斜面には竪堀があります。かなり埋まっているようです。
松尾山城138竪堀.jpg
主郭北斜面下を通って自然歩道に戻り下山します。
[メモ]「松尾山城散策マップ」によると、城は、1570年に近江の浅井長政が境目の城として利用、その後、織田方の城となったのち1579年に廃城となるも、1600年の関ヶ原合戦に先立ち石田三成の命により大垣城主の伊藤盛正が大改修したものが現在残る遺構と考えられています。合戦前日に伊藤盛正を追い出して入ったのが小早川秀秋です。小早川秀秋軍15,000人という通説は旧陸軍参謀本部編纂データによるもので「100石✕3人」で算出したようですが、前提の石高が正確ではないので、実際には9,0008,000人とされます(本郷和人『戦国武将の明暗』2015年)。それにしても山上にそれほどの人数を収容するのは難しそうなので多くは麓で待機していたのではと思います。



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