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洲本城(2) 2023.10.21 [兵庫県]

①本丸南東側の大石段から本丸に入ります。左折の枡形虎口を通って本丸内へ。
洲本城149本丸大石段.jpg
②本丸北西隅に築かれた天守台(南面)。現在の天守風建物は1929年に建設されたものです(現在、立入禁止)。かつてどのような天守が建っていたのかは不明ですが、脇坂安治が1609年に大洲に転封された際に天守を移築したという説もあります。
洲本城153天守台.jpg
③天守台から洲本市街地の眺望。
洲本城157北方向.jpg
④天守台から本丸内西側を撮影。画面手前が搦手虎口ですが、本丸下段の北西側の石垣修復工事のため通行止めとなっています。
洲本城154搦手虎口.jpg
本丸から出て、南の丸南東隅の石垣を見に行きます。
⑤南の丸南東隅石垣。ここは石垣の増築の痕跡(従来の石垣との境目)を観察することができます。
洲本城168南の丸東面2.JPG
本丸と南の丸の間を通り、西方向へ。
⑥本丸南西隅石垣。
洲本城176本丸南西隅.jpg
⑦本丸西面。本丸下段北西側の石垣修復工事のため、本丸に通じる搦手口と麓に通じる西側登山道は通行止めとなっています。
洲本城177本丸西面.jpg
西の丸には行くことができます。
⑧西の丸手前から本丸北西面を撮影。天守台石垣の下段の石垣は修復されたもの。西の丸の手前の残念石(放置された石材)のあるあたりからの眺望です。西の丸自体は樹木が生い茂っています。
洲本城186本丸西面.jpg
下山は八王子木戸からで、麓まで舗装された登山道が整備されています。
⑨下の城から上の城(城山)を撮影。
洲本城192下の城.jpg
麓には「下の城」と呼ばれる蜂須賀氏の家老稲田氏の居館がありました。洲本城は、脇坂安治の転封後の池田氏領主時期に利用されなくなり、1615年に池田氏から徳島の蜂須賀氏へ領主が変わっても由良城に城代を派遣していましたが、1631年に洲本に移転し麓に御殿を築きました。山上の建物は1638年に破却されたようです。
下の城跡にある洲本文化史料館は時間の関係で割愛し、この近くの洲本八幡神社に下の城から移築された建物(金天閣)を見に行きます。
⑩金天閣。1641年に建てられたもので、現在、兵庫県重要文化財となっています。
洲本城193金天閣.jpg
洲本滞在2時間35分とやや短い時間でしたが石垣を堪能、洲本バスセンター16時発(自由席)で帰路につきました。
[メモ]本記事の解説部分は、おもに洲本城跡パンフレット(淡路島観光協会)及び洲本市教育委員会『史跡洲本城跡整備基本計画』2021年によりました。



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洲本城(1) 2023.10.21 [兵庫県]

1021日(土)、岡山への帰省途中に淡路島の洲本城跡を訪れました。洲本城は洲本市街地の南側にそびえる三熊山(標高約130m)の東西に延びる尾根上にあり、現在残る遺構は、おもに脇坂安治城主時代(15851609年)のもので、国史跡となっています。新幹線でJR新神戸駅1129分着、洲本行きの高速バスで新神戸1145分発→洲本バスセンター1325分着。この路線は自由席で空いていましたが、テーマパーク経由などの路線は混雑するため要予約となっています。洲本バスセンターの観光案内所で洲本城跡パンフレットを入手し、タクシーで城跡のある三熊山へ。城跡南側の大手門前でタクシーを降りて歩き始めます。
馬屋東面石垣と大手門跡。画面左が馬屋という曲輪。馬屋東面の石垣は、修復されてきれいになっています。道の先が大手門跡。大手門奥の石垣は東の丸水の手郭南面の石垣。
洲本城104大手門前.jpg
馬屋から紀淡海峡方向の眺望。「馬屋」は南端の曲輪で、南方向の紀淡海峡が一望できます。画面右の島(成ヶ島)が由良城跡(1613年に池田忠雄が築いた城)。
洲本城108馬屋から由良方向.jpg
③ 東の丸水の手郭。東の丸南側の曲輪は「水の手郭」と呼ばれており、その名の通り、日月(じつげつ)の池や井戸が残っています。ただ、今となっては悔やまれますが、日月の池は公園風に改変されています。
洲本城137日月の池.jpg
東二の門跡。東の丸を東方向へ進み、東二の門跡から「武者溜」という東端の曲輪へ。
洲本城115東二の門跡.jpg
武者溜東一の門跡。武者溜の東南の虎口で麓につながっています。
洲本城116東一の門跡.jpg
武者溜から東の丸北斜面の東の登り石垣を撮影。階段状に築かれています。北斜面には麓まで登り石垣が東西二列築かれていますが、これは東側のもの(西側は現在立ち入って見ることはできません)。
洲本城120東登石垣.jpg
武者溜から東の丸北側の東面を撮影。このあたりは岩盤が露出しています。
洲本城123東の丸東面.jpg
この東の丸北側の上部には「二段の郭」と呼ばれる石垣を廻らした曲輪があり、東の丸東二の門跡付近から登ってみます。
東の丸二段の郭南東隅。ここの石垣は大丈夫ですが、西側はかなり崩れています。
洲本城125東の丸二段の郭.jpg
二段の曲輪から下りて、東の丸二段の曲輪と本丸側との谷間にある八王子木戸へ。
八王子木戸から石垣の連なる山里郭東面(画面下)・本丸東面を撮影(画面上)。
洲本城187山里郭・本丸東面.jpg
山里郭から本丸東面を撮影。出隅の石垣が崩落しています。
洲本城142本丸東面.jpg
次はいよいよ本丸へ。



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奥沢城 2023.10.19 [東京都]

1019日、自由が丘へ行く機会があり、世田谷区史跡の奥沢城跡を訪れました。奥沢城跡は、九品仏川の南の台地上の築かれたもので、中世、世田谷城主吉良氏の家臣の大平氏の居城であったとされます(世田谷区教育委員会編『世田谷の中世城塞』1979年)。1590年の小田原北条氏滅亡後に廃城となり、その主郭部分を中心に1678年に浄真寺が建立されました。浄真寺は、三つの堂宇に三躰ずつの阿弥陀佛が安置されていることから「九品仏」として知られています。
渋谷駅から東急東横線で自由が丘駅下車、駅の南側の九品仏川緑道へ。
九品仏川緑道を西方向へ進みます。緑道は暗渠化した川の上に造られたもので、北側(画面右)が目黒区自由が丘、南側(画面左)が世田谷区奥沢となっています。
奥沢城101九品仏川緑道.jpg
緑道の西端は、「ねこじゃらし公園」となっています。このあたりは奥沢城の北西端にあたり、かつては水田や沼だったようですが、宅地化が進む中で唯一草地として保存されています。
奥沢城102ねこじゃらし公園.jpg
浄真寺の周囲には、城の主郭を方形に囲んでいた土塁遺構が廻っています。
奥沢城103土塁.jpg
西側と南側の土塁の外周を進んで総門からお寺に入ります。
浄真寺山門(仁王門)。1793年建立、世田谷区文化財となっています。紅葉時期は一段と素晴らしい雰囲気だと思います。この門の両側に東側土塁遺構が残されています(奥沢城跡の石碑あり)。
奥沢城104浄真寺山門.jpg
鐘楼後方の南内側土塁遺構。土塁遺構は良く残っています。
奥沢城105土塁.jpg
なお、現在、中品堂は耐震工事中のため、また、仏像の一部は修繕中のため、九躰全ての拝観はできません。帰りは南側の参道を通り、九品仏駅から帰路につきました。



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