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若桜鬼ヶ城 2019.3.24 [鳥取県]

若桜鬼ヶ城(わかさおにがじょう)は因幡から播磨・但馬へと通じる街道の要衝である若桜の鶴尾山に中世に築城され、秀吉政権下に近世城郭に改造されたが、1617年頃に廃城となり破城されたとされる。2019年3月24日(日)、宿泊地の鳥取市から鳥取駅7時22分発のJR因美線で7時38分郡家駅着。7時43分発の若桜鉄道で8時14分若桜駅に到着。未明に降った雪が残っている(重装備してきて良かった)。駅前の若桜町観光案内所で若桜鬼ヶ城跡パンフレットと続日本100名城スタンプを入手。小雨の中、八幡広場登山口へ向かう。

①八幡広場登山口(8時35分)。とても小さいので見落としてしまう。

若桜鬼ヶ城001八幡広場登山口.jpg

②登山口を登るとすぐに鹿対策の電気柵があり、ハンドルフックを開閉して通過する。緩やかな登りをしばらく進むと、古城地区の遺跡に着く(8時50分頃)。

若桜鬼ヶ城004古城地区.jpg

③まもなく、十字路へ出る。ここから鶴尾山山頂部(標高452m)へきつい登りとなる。画面右の道は六角石垣へのルート。

若桜鬼ヶ城005登り十字路.jpg

④ようやく三の丸枡形虎口へ到着(9時12分)。二の丸から三の丸枡形虎口を撮影。

若桜鬼ヶ城011二の丸から枡形虎口.jpg

⑤二の丸から本丸を撮影。虎口には木が茂っており、隅の石垣は崩されている。

若桜鬼ヶ城012本丸虎口.jpg

⑥本丸に入り、天守台へ。本丸内側の天守台石垣は残っているが、外側はほとんど崩されている。

若桜鬼ヶ城018天守台.jpg

⑦本丸からの眺望。左が但馬方向、右が播磨方向。

若桜鬼ヶ城032左但馬、右播磨方向.jpg

⑧本丸から出て、ホウヅキ段の方へ。本丸西南隅を見上げて撮影。

若桜鬼ヶ城035本丸西南隅.jpg

⑨ホウヅキ段の石垣

若桜鬼ヶ城042ホウヅキ段石垣.jpg

⑩六角石垣に向けて下山する。西虎口下の石垣を撮影。

若桜鬼ヶ城046西虎口下.jpg

⑪有名な六角石垣。このあたりは急勾配なので注意して撮影しないと滑落リスクがある。

若桜鬼ヶ城049六角石垣.jpg

⑫下山ルートは、十字路を経て、第1町民体育館裏登山口に出る。

若桜鬼ヶ城050第1町民体育館裏登山口.jpg

若桜駅11時23分発の若桜鉄道で鳥取駅に12時11分到着(直通)。若桜鉄道の客車にはテーブル席があり、お弁当を食べるには都合がいい(駅前のAコープでお弁当を購入)。鳥取駅13時37分発、JR特スーパーおきで米子駅14時38分着。米子空港17時5分発に乗り込み、鳥取県3名城の旅が終わる。



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鳥取城 2019.3.23 [鳥取県]

2019年3月23日(土)。米子駅からJR特スーパーまつかぜにて15時52分鳥取駅に到着。ホテルにチェックイン後、鳥取城に向かう。徒歩30分弱で、擬宝珠橋前に到着。時間があえば鳥取市100円循環バスを利用しても良い。

①三ノ丸中ノ御門跡へ続く擬宝珠橋。現在、大手登城路の復元整備工事中のため、ここから城内に入ることはできない。中ノ御門表門は2020年度末までに復元予定(追記:2021年3月13日竣工式、復元されたのは枡形虎口の高麗門にあたる表門。櫓門は2024年度中に竣工予定)。中央の石垣は天球丸、背後は久松(きゅうしょう)山で山頂に山上ノ丸の石垣が見える。以下、名称表記は鳥取市の鳥取城跡パンフレットによる。

鳥取城002擬宝珠橋.jpg

鳥取城は、戦国時代に山名一族により山城が築かれたとされ、その後、毛利氏の傘下に入り羽柴秀吉による攻城戦の舞台となり、1581年に秀吉配下の宮部継潤が城主となり近世城郭に改修した。関ヶ原の戦い後は、池田氏が入り都度改修が行われたが、明治維新後、ほぼ全ての建物が解体撤去された。

②北ノ御門跡方向に行く途中で城跡遠景を撮影。中央石垣が二ノ丸三階櫓台。その下が仁風閣(1907年建設)。

鳥取城004三階櫓台遠景.jpg

③三ノ丸北ノ御門跡へ続く宝珠橋。ここから入城。

鳥取城007宝珠橋、北ノ御門跡.jpg

④北ノ御門跡からまっすぐ進み右に折れると西坂下御門(1867年創建、1975年台風で倒壊、復元)。

鳥取城008西坂下御門.jpg

⑤引き返して、仁風閣を横切り、中ノ御門跡からの大手登城路に途中から入る。上から、大手登城路を撮影。中央の石垣は太鼓御門跡(2021年度末までに復元予定)と思われる。なお、仁風閣の入館時間16時30分を過ぎていたため、日本100名城のスタンプ、鳥取城跡のパンフレットの入手は翌日回しとなる。

鳥取城016中ノ御門跡遠景.jpg

⑥天球丸の下(楯蔵跡)まで登り、巻石垣を撮影。1807年頃に崩落防止のため築かれたとのこと。現在のものは2012年に復元されたもの。

鳥取城013天球丸巻石垣.jpg

⑦二ノ丸表御門跡。天球丸から撮影。

鳥取城024表御門跡.jpg

⑧二ノ丸の北端に登石垣(1849年、二ノ丸拡張時に設置)がある。

鳥取城021登石垣.jpg

⑨遅くなったため、山上ノ丸(久松山山頂260m)は諦めて退去。100名城スタンプと同じアングルから二ノ丸三階櫓石垣を撮影。

鳥取城027二ノ丸西石垣.jpg

鳥取市内に泊まり、翌日、若桜鬼ヶ城へ。






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米子城 2019.3.23 [鳥取県]

2019年3月23日(土)。米子空港には定刻10時50分着のところ5分程度遅れて到着。バスでANAクラウンプラザホテル米子前で下車(11時35分)。昼食後、小雨のなか、米子市ウェブサイトで入手していたガイドマップを頼りに米子城へ。

①まず、三の丸。現在、米子市営湊山球場となっている三の丸跡から湊山山麓の二の丸石垣、山頂(90m)の本丸石垣を撮影。(追記:2020年9月22日をもって湊山球場は廃止、発掘調査を経て米子城跡三の丸広場に生まれ変わることに。)

米子城002二の丸石垣.jpg

米子城は、応仁の乱の頃に山名宗之が飯山に砦を築いたのが始まりと伝えられ、1591年に月山富田城に入った吉川広家が新たな居城として湊山に石垣造りの近世城郭を築きはじめ、関ヶ原の戦い後に伯耆の領主となった中村一忠により1602年に完成したとされる。その後、因幡・伯耆の領主となった池田氏の支城として建物は維持されてきたが、明治維新後、売却・取り壊された。湊山は払下げ後変遷を経て1933年に坂口家から米子市に寄付され湊山公園となり、2006年に城跡主要部分が国史跡に指定された。

②二の丸へ。枡形虎口を通り旧小原家長屋門(1953年移築:市指定文化財)を抜けると市営湊山庭球場となっている。二の丸側から枡形虎口を撮影。

米子城108二の丸枡形虎口.jpg

③二の丸から内膳丸へ。北に突き出ている尾根上(丸山)に内膳丸がある。内膳丸から本丸を見上げて撮影。

米子城113内膳丸より本丸.jpg

④登り石垣。内膳丸を下り本丸に向かうあたりに登り石垣がある。

米子城115本丸への登り石垣.jpg

⑤本丸へ。番所跡から天守台、四重櫓台を撮影。「続100名城公式ガイドブック」の表紙カバーに採用されている撮影スポット。天守台側の石垣が多重構造となっている一方、四重櫓台側は突出した配置となっており、ハーモニーが美しい。

米子城121本丸北東面.jpg

⑥鉄門跡。右側が四重櫓台で、このあたりは幕末に切込接に改修されている。

米子城135鉄門.jpg

⑦四重櫓台。天守台跡から撮影(南東側)。

米子城138天守台より四重櫓台.jpg

⑧天守台から、北側に突出している遠見櫓台、内膳丸を撮影。左側(西側)は中海。

米子城142天守台より遠見櫓台、内膳丸.jpg

⑨水手御門跡。本丸を西に降りて行き水の手御門跡へ。この下に水手御門下の郭跡がある。

米子城147水手御門.jpg

⑩下山。本丸からの下りは9号線側へ。

米子城157四重櫓前虎口.jpg

⑪9号線を横断して飯山へ。その後、市立山陰歴史博物館で米子城跡ガイドマップ、続100名城スタンプ、さらに「米子城絵図面」(資料集)を入手。ここには、天守と四重櫓の模型が展示されている。

米子城159市立山陰歴史館の模型.jpg

このあと、14時50分のJRスーパーまつかぜに乗車し鳥取城に向かう。

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