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水戸城 2023.3.20 [茨城県]

水戸市の梅まつりが終わり、桜まつりが始まる直前、歴史的景観整備の進む水戸城跡を訪れる。
①水戸駅北口デッキからの復元された二の丸角櫓(すみやぐら)の景観。
水戸城101駅前北口から.jpg
中央のビルは解体撤去されそうなので、そうなればスッキリ見えることになる(ビル解体後にはどのように整備されるのだろうか)。水戸城は那珂川と千波湖に挟まれた舌状台地先端部(標高30m前後)に築かれている。西側の三の丸跡からスタートし東進、二の丸跡、本丸跡、最後に三の丸跡に戻り弘道館を見ることにする。

②水戸城パンフレットの江戸時代と現在の重ね地図によると、旧銀杏坂の入口付近の両側(右側は、現在、再開発予定の更地)には三の丸南の水堀があり、水戸京成ホテルの手前に三の丸南土塁・枡形虎口があった。
水戸城104旧銀杏坂.jpg
坂を登り切り左折して三の丸西空堀へ。
③三の丸西空堀。現在は茨城県三の丸庁舎前と茨城県図書館前の2箇所に土橋が設けられ土塁も切断されているが、江戸時代の絵図によると、長大な空堀と土塁が続いており両端に土橋と枡形虎口があった。
水戸城108三の丸空堀.jpg

弘道館北の梅林を通り、大手橋を渡り、二の丸大手門へ。
2019年に復元された大手門。二の丸西入口で門を入ると左折する内枡形虎口となっている。
水戸城118二の丸大手門.jpg
⑤景観整備された二の丸内の白壁塀通り。
水戸城123二の丸白壁塀.jpg
二の丸は、江戸時代には御殿・三階櫓などが設けられ水戸城の中心だったが、現在は幼稚園・小学校・中学校・高校の敷地となっており、行ける範囲は限定されている。水戸城跡二の丸展示館で復元模型などを見て、復元角櫓へ。
⑥復元角櫓への通路。県立水戸第三高校と小学校・幼稚園のあいだの細い通路を通り、二の丸南西隅の角櫓へ。
水戸城125二の丸角櫓への通路.jpg
2020年に復元された角櫓。
水戸城127二の丸角櫓.jpg
正保城絵図や二の丸展示館の復元模型とは入母屋破風の方向が異なるが、根拠があってのことと思われる。在来工法で復元された内部(一階部分)は見学できるが、標高があまり高くなく周囲のビルに囲まれているため、眺望は今ひとつ。そのかわり、二の丸北東の見晴台に行くと那珂川の眺望が広がる。

白壁塀通りに戻り東進、本丸へ向かう。
⑧本丸・二の丸間の堀切(空堀)。水戸城跡最大の見所だと思う。堀底をJR水郡線が通っている。
水戸城138本丸堀切.jpg
⑨本丸枡形虎口。本丸跡は県立水戸第一高校の敷地となっているが、薬医門(県文化財)までは入ることができる。
水戸城142本丸枡形.jpg
⑩薬医門の側面。本柱・控柱と屋根の位置関係がよく分かる。
水戸城147薬医門.jpg
この門は、佐竹義宣が城主時代の16世紀末に創建されたと考えられている。明治期以降城外に移築されていたが、1981年に現在地に移築・復元された。その際、屋根は茅葺きから銅板葺きになった。本来の位置は、本丸枡形虎口の入口だったと考えられている。

二の丸東南側の坂(柵町坂下門がある)を下りて、二の丸南崖下を通り、大手橋の下から階段を登って三の丸弘道館へ。弘道館は徳川斉昭が1841年に創設した藩校で特別史跡に指定されている。
⑪弘道館政庁(重要文化財)。
水戸城158弘道館政庁.jpg
政庁は試験や儀式の場に使用されたようで、書院造となっており、御殿のような雰囲気を感じる。内部見学の順路は決まっているが、撮影はもちろん、徳川慶喜が恭順謹慎した座敷に座ったりすることができる。



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赤木城(2) 2023.2.28 [三重県]

赤木城跡直下の駐車場に着き、いよいよ城内へ。
①坂道を登った所にある東郭の門跡。このあたり石垣が一部失われているようだ。ここから城内に入り右折前進し、さらに右折して主郭虎口へ。
赤木城104東郭虎口.jpg
②主郭虎口。連続外枡形(左折、左折、右折)+内枡形(左折)という複雑な構造となっている最大の見所。
赤木城144主郭虎口2.jpg
③内枡形の入口となる主郭の門跡。巨石が鏡石として使用されているようだ。
赤木城112主郭虎口.jpg
④主郭の北端から見おろす北郭。
赤木城118北郭.jpg
⑤主郭周囲の石垣を見ながら半周して主郭南西隅突出部へ。隅角部は細長く大きい石を用いた算木積みとなっている。
赤木城134主郭南面.jpg
⑥四つの曲輪が階段状に連なる西郭に下りて行く。
赤木城141西郭1,2.jpg
⑦さらに小道を下ると麓の南郭に至る。南郭は生活空間だったと考えられている。
赤木城140南郭.jpg
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世紀末に築かれた野面積み石垣を堪能し、熊野市駅前に戻る。火曜日だが閑散期のためか駅前の飲食店は閉まっているため、少し離れた「熊野古道おもてなし館」で地鶏うどんを食べ、特急南紀6号に乗り名古屋経由で帰路についた。



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赤木城(1) 2023.2.28 [三重県]

新宮駅を出発して熊野川を渡ると三重県になる。紀伊国=和歌山県と思っていたが、調べてみると紀伊国牟婁(むろ)郡の熊野川以東は三重県になっていた。三重県の熊野市駅には特急南紀4号で932分に到着。午前中のあいだに赤木城跡と往復するため、2時間半コースの観光タクシーを利用する。ベテランの運転手さんの案内で、まず海岸線の獅子岩へ。確かにライオンの吼えている姿に似ている。
獅子岩100.jpg

次いで丸山千枚田へ。見おろした後、近くまで行ってみる。棚田の土手には段々に石垣が築かれており、石材が入手しやすかったものと思われる。
丸山千枚田102.jpg


丸山千枚田108.jpg
パンフレットによると、この棚田がいつ頃造成されたか不明ながら、1601年には2,240枚の田があったという。戦後の一時期、過疎・高齢化により530枚まで減少したが、復元・保全活動により1,340枚まで回復、日本でも最大規模の棚田となっている。

そして赤木城跡南面全景を見渡せる撮影地点へ。
赤木城102遠景.jpg
赤木城は、700m前後の山々に囲まれた谷間の丘陵(標高230m)に築かれている。頂上部に主郭、その手前に東郭、画面左端に西郭、東郭と西郭の間の山裾に南郭、主郭の後方に北郭という構造だった。
[メモ]赤木城は、1588年頃に、豊臣秀長の家臣だった藤堂高虎が熊野川支流の北山川流域の支配のために築いたとされ、元和の一国一城令(1615年)により廃城になったと思われる。1989年に史跡に指定された後、発掘調査と石垣などの整備工事が行われ、現在の姿となっている。



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新宮城 2023.2.28 [和歌山県]

紀伊半島海岸沿いの城めぐりの続きです。和歌山駅から3時間10分で新宮駅に到着。新宮で一泊した早朝、熊野川河口南の丘陵(地理院地図標高47m)にある新宮城跡を訪れる。
①道路から鐘ノ丸南面石垣を見上げる。
新宮城102鐘ノ丸南面.jpg
②西側の公園入口を通り過ぎた所(保育園)にあるのが二ノ丸石垣。二ノ丸には上屋敷(藩の政庁)があったようだ。
新宮城105二ノ丸石垣.jpg
大手門跡はこの裏手だが通行できないようなので、公園入口から入ると、途中から大手道につながる。
③大手道。道の右側には土塀が築かれていた。
新宮城109大手道.jpg
ここを登ると枡形虎口の松ノ丸西門跡に至る。
④松ノ丸西門跡。松ノ丸は城山の北西側の曲輪で、熊野川の眺望が開ける。
新宮城110松ノ丸西門跡.jpg
松ノ丸の東側から熊野川に面する水ノ手曲輪に下る。
⑤水ノ手曲輪。舟入(船着場)跡で、石垣は洪水に備えて築かれた。また、発掘調査の結果、藩専売品の備長炭の炭納屋(倉庫)が建てられていたことが分かった。
新宮城118水ノ手曲輪.jpg
⑥松ノ丸に戻って南進し枡形虎口から鐘ノ丸へ入る。
新宮城123鐘ノ丸櫓門跡2.jpg
鐘ノ丸には戦後の一時期に高級旅館「二の丸」があったという。鐘ノ丸を東進、本丸南面の天守台石垣を見に行く。
⑦天守台石垣。南西面は崩落しているが、南東側はきれいに残っている。
新宮城144天守台南東面.jpg
⑧西側の本丸枡形虎口から本丸へ入る。
新宮城134本丸櫓門跡.jpg
⑨本丸北西に突き出ているのが出丸(立入できない)。熊野川の船の往来を監視するためだろうか。
新宮城135出丸.jpg
⑩本丸北東にある搦手門跡。高級な化粧石垣を用いているとされるが、誰も通らない所になぜ?
新宮城138搦手門跡.jpg
本丸南の天守台崩落跡の小道を下り、さらに、かつての旅館への入口だったと思われる坂を下って東側公園入口から出る。このあと、「100年名家」で紹介された旧チャップマン邸と旧西村家住宅の外観を見て(内部見学は9時から)、新宮駅前の新宮市観光協会で新宮城の冊子と散策マップ(2種類)を入手。朝の特急南紀4号で熊野市駅へ向かう。
[メモ]新宮城は、1600年に浅野幸長が紀伊国支配となった際に重臣の浅野忠吉が新宮領主として1601年から築城した。1619年に徳川頼宣が紀州藩主となると付家老として水野重仲が新宮藩主となり城を改修、その後も地震被害発生のたびに修復され、現在残る石垣のほとんどは水野氏藩主時代の打込み接ぎと切込み接ぎとなっている。建物は失われたが、2003年に国史跡に指定されている。ところで、正保城絵図には石垣と土塀は描かれているが、不思議なことに天守・櫓は描かれておらず、門も高麗門だけで櫓門は描かれていない(現存する正保城絵図のなかでは唯一の例外)。ただし、近隣の神社建物は描かれている。理由は何だろうか。



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小牧山城 2023.3.8 [愛知県]

数年間待っていた葛飾応為の「夜桜美人図」が展示(2023221日~42日)されている小牧市のメナード美術館を3月上旬に訪れる。絵を細かく観察すると筆の握り手の描き方が気になる。指を美しく見せるためなのか、それとも応為の握り癖を反映したものなのだろうか。
美術館の展示を見たあと、近くの小牧山城を訪れる。小牧山山頂(標高85.9m)にある小牧市歴史館が2023331日まで休館(主に戦国時代を扱う展示へとリニューアル)しているのは知っていたが、麓の復元土塁と頂上の主郭一帯が工事中で一部立入できないとは知らなかった。おそらく、大河ドラマ「どうする家康」も意識して改修工事を行っているものと思われる。
小牧山城(史跡名称は「小牧山」)は、信長が1563年に清洲から居城を移して築城したが、1567年には岐阜に移り廃城となった。その後、1584年の秀吉と家康の小牧・長久手の戦いの際に家康の本陣として改修された。こうして、小牧山城跡は信長期と家康期の二つの時期の築城遺構が混在する城跡となった。
①南西入口の御幸橋口。家康の改修で築かれた枡形虎口。
小牧山城102御幸橋口.jpg
②入ったところの山麓東側一帯は、小牧中学校移転後に発掘調査が行われ、信長期に武家屋敷があったと考えられている(徳川期にも陣地として利用)。
小牧山城104曲輪402.jpg
れきしるこまき(小牧山城史跡情報館)に立ち寄って、大手道、主郭の最新の発掘調査情報などを得る。
③山麓南の復元土塁。家康は小牧山の周囲に土塁と空堀を築いた。このあたりは市役所旧本庁舎解体撤去後に史跡整備工事が行われ、2017年に土塁・空堀・切岸が推定復元された。さらに今回、20233月末まで遊歩道設置など追加整備工事が行われている。
小牧山城113復元土塁.jpg
④大手道。しばらく北へ直進し、中腹で右折(東進)、その後、ジグザグ道を登り主郭に至るはずだったが、ジグザグ道の最終コーナー以降は工事中で20233月末まで立入規制している。
小牧山城118大手道.jpg
そこで、北側の迂回路経由で主郭前にたどり着く。
⑤主郭前の大手道を主郭前から撮影。石垣復元などの整備工事は、ここの通路については3月末までのようだが、今後もしばらく他のエリアで順次整備工事が行われるようだ。
小牧山城137大手道.jpg
⑥主郭大手入口。今回の工事で、階段下左の花崗岩上に設置されていた徳川義親像は小牧市歴史館内に移設された。この花崗岩は信長の築城時に配置されたものと考えられている。なお、信長期に主郭の周囲に築かれた石垣は主に小牧山産のチャートが使用されている。
小牧山城139主郭入口.jpg
⑦主郭北西面石垣。石垣のサイズは比較的大きそうだが、高さはかなり低いようだ。
小牧山城133主郭北側2.jpg
⑧山腹西側の虎口。主郭と西側曲輪との通路のようだ。発掘調査により織田期の虎口とされた。空堀・土橋・虎口が分かるように整備されている。
小牧山城128虎口.jpg
⑨山麓北側の搦手口付近の徳川期土塁。この近くに土塁断面展示施設がある。
小牧山城146北土塁.jpg
発掘調査によって主郭周囲には2段~3段の石垣が築かれたことが判明しているが、主郭周囲の石垣復元整備工事が完成するのは数年先になりそうだ。


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和歌山城(2) 2023.2.27 [和歌山県]

①天守下の段から天守二の門(楠門)を通り天守曲輪へ。天守曲輪石垣は豊臣・桑山期に築かれ、連立式天守は浅野期が初代、落雷焼失後に2代目(1850年)、空襲焼失後に3代目(1958年)が再建されている。
和歌山城1061天守南面石垣.jpg
②天守から東方向の本丸方向を撮影。現在、本丸は和歌山市水道配水池となっており、手前の天守撮影エリアを除いて立入できない。なお、本丸上部の石垣は配水池設置に伴い嵩上げされたもの。
和歌山城1067天守より本丸.jpg
この後、転用石や埋門など見所が多い天守曲輪北側石垣を見に行こうと思ったが立入禁止エリアとなっているので、大正期に造られた新裏坂を南西方向へ下り砂の丸(南)へ向かう。
③砂の丸(南)から東隣の南の丸へ入る枡形虎口。南の丸と砂の丸は徳川頼宣が1621年に拡張したもの。現在、南の丸は動物園となっている。
和歌山城1091南の丸西枡形虎口.jpg
④砂の丸(南)高櫓台石垣と不明(あかず)門跡。砂の丸(南)高櫓台石垣は砂丘を断ち切った高台に石垣を築いたもので隅角部は花崗斑岩を用いた切込み接ぎとなっている。その右は砂の丸南入口の不明門跡で、現在、駐車場入口となっている。
和歌山城1098南の丸高櫓台.jpg
城内に戻り砂の丸(南)から砂の丸(北)へ。
⑤山裾西側石垣。山裾の石垣は豊臣・桑山期の野面積みが多いが、このあたりは浅野期の打込み接ぎとなっている。
和歌山城1104山裾西面.jpg
⑥追廻門(和歌山市指定文化財)。砂の丸の西入口、1985年に解体修理が行われ、本来の色と判明した赤色に塗られた。
和歌山城1110追廻門.jpg
⑦砂の丸(北)内側の打込み接ぎの石垣。現在、砂の丸(北)は広場になっている。
和歌山城1114砂の丸北西石垣.jpg
砂の丸から窪地の鶴の渓に下りて山麓北側に向かう。
⑧山裾北西(鶴の渓)の野面積み石垣。中央の巨石は地山の石だろうか。右側では重機を使い石垣斜面の樹木伐採作業が行われている。
和歌山城1121山裾北西石垣.jpg
⑨裏坂。本丸・天守曲輪への北側登り道。野面積み石垣がジグザグ道に沿って築かれている。
和歌山城1126裏坂.jpg
ここは見るだけで、二の丸から御橋廊下を渡って西の丸へ。
⑩西之丸庭園(名勝)。御橋廊下の奥の堀は庭園の池となっている。
和歌山城1128西之丸庭園.jpg
⑪御橋廊下内部。靴を脱いで渡ることができる。傾斜しているので床に横木が段々に設置されているが、素足では歩きにくい。
和歌山城1129御橋廊下.jpg
⑫吹上口跡。城の北西入口(砂の丸の北入口)で、鳥居のうしろに勘定門跡の石垣は残っているが、枡形空間の前面にあった吹上門石垣・外堀(画面右端=西側に一部残っている)・船からの荷降ろし用雁木は失われている。
和歌山城1136吹上口跡.jpg
石垣の見所が多く、ここまででおよそ2時間経過。バスで和歌山駅に戻ろうとしたが、なぜか子供達で満員のためタクシーで戻り、特急くろしお17号で新宮駅に向かう。



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和歌山城(1) 2023.2.27 [和歌山県]

20232月後半、紀伊半島の海岸線沿いに和歌山城→新宮城→赤木城を訪れる。都内から新幹線で新大阪駅、新大阪駅から特急くろしお11号で和歌山駅へ。和歌山駅からは和歌山バスに乗り市役所前で下車して和歌山城跡へ。「和歌山城石垣散策マップ」によると、豊臣・桑山期(15861600年)の結晶片岩を用いた野面積み、浅野期(16001619年)と徳川期(16191869)の和泉砂岩を用いた打込み接(は)ぎ、徳川中期の切込み接ぎ(砂岩、一部花崗斑岩)と様々な種類と積み方の石垣が残っている。
①北堀端から御橋廊下(2006年再建)と天守(1958年再建)。
和歌山城1002御橋廊下.jpg
手前の石垣は、左側が二の丸、右側が西の丸。二の丸が堀を埋めて西へ拡張されたのは徳川期なので石垣もその頃のもの。和歌山城は、標高48.9mの虎伏山頂上部に本丸と天守曲輪、麓の北側に西の丸・二の丸、東側に下の丸・蔵の丸・岡口門枡形、南側に南の丸・砂の丸、西側に砂の丸を配置する構造となっている(曲輪名称は和歌山市『史跡和歌山城整備計画報告書』2017年による)。
北堀に沿って東進。
②北堀東端の大手門(1982年再建)。高麗門形式の大手門から下の丸へ入る。
和歌山城1006大手門.jpg
③下の丸を南進。右側は二の丸石垣、この先を右折して枡形虎口の一中門跡へ。
和歌山城1011下の丸.jpg
④一中門跡を南側(蔵の丸)から撮影。手前の櫓門跡の左右の石垣は花崗斑岩を用いた切込み接ぎによる亀甲積み。
和歌山城1015一中門跡.jpg
⑤蔵の丸を南進。右側の山裾の石垣は野面積み、右奥の表坂を登ると松の丸→本丸・天守曲輪だが、それは後にして、南進して枡形虎口の岡中門跡から岡口門枡形へ入る。
和歌山城1018蔵の丸.jpg
⑥岡中門跡を南側(岡口門枡形)から撮影。左側は松の丸櫓台石垣で隅角部は花崗斑岩を用いた切込み接ぎ。蔵の丸は南北を枡形虎口によって防御する構造となっている。高台の松の丸櫓は司令塔的存在だったと思われる。
和歌山城1024岡中門跡.jpg
⑦岡口門。城の南東側の入口で浅野期の途中まで大手門だった。現在残る櫓門は1621年に建てられたもので重要文化財。それにしても右側のマツは剪定しているのだろうか。
和歌山城1031岡口門.jpg
⑧東堀端から岡口門北側土塀と天守。土塀は黒ずみ、岡口門自体は樹木で隠れている。このままではそのうち天守も樹木に隠れてしまうかもしれない。
和歌山城1034東堀から天守.jpg
蔵の丸へ戻り表坂を登る。
⑨表坂。下側の石垣は野面積みだが、上側は松の丸櫓台からの続きで徳川期に切込み接ぎに改修されたようだ。
和歌山城1043松の丸へ表坂.jpg
⑩松の丸を西進。松の丸は本丸南下の中腹道で、この先に本丸表門があった。右側の山裾は野面積みとなっている。
和歌山城1049本丸南下石垣.jpg
⑪表門跡を右折すると野面積み石垣に囲まれた谷底のような枡形空間に入る。
和歌山城1054本丸表門枡形.jpg
⑫さらに折返して天守一の門跡を通り天守下の段へ。
和歌山城1056天守一の門跡.jpg



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