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岐阜城 2023.12.4 [岐阜県]

岐阜市の岐阜城跡と加納城跡を124日に訪れました。JR岐阜駅北口から岐阜バスに乗り岐阜公園歴史博物館前で下車し、岐阜城跡へ。城は金華山の山上部と山麓部から構成されています。
金華山西面。標高はおよそ330m、全山チャートからできています。
岐阜城147金華山.jpg
1時間程度で歩いて登山できるようですが、ロープウェーで登ることに。その前に信長居館発掘調査案内所に行き、パンフレット・解説シートを入手。最近の山上発掘調査解説シートや香川元太郎さんの描くイラストのクリアファイルなどがあり非常に充実しています(居館の復元イメージ模型もあります)。
ロープウェーは15分間隔で運行されており、4分ほどで頂上に着きます。北西方向に歩き一ノ門跡へ。
一ノ門跡。左崖と右岩盤・石垣の間に櫓門があったようです。
岐阜城102一ノ門跡.jpg
馬場跡と伝わる通路をさらに進むと二ノ門跡へ。
二ノ門跡。坂を登って右折する枡形虎口のようです。門を入ったところの平地が下台所跡(江戸時代の絵図での名称)。
岐阜城108二ノ門跡.jpg
さらに坂を登って行くと、台所跡と伝わる平地がありますが、旧気象台無線中継所などの公益施設があり立入できません(三角点があるのもこちらです)。北西方向の天守への尾根道を進みます。
天守と天守への尾根道。現在の天守は1956年に建設されたもの。天守台石垣の大半は明治時代に積み直されたものですが、ごく一部に16世紀末の姿が残っているようです。
岐阜城109天守への通路.jpg
天守台南西隅下段石垣(織田信長城主時期の可能性が高いと考えられるもの)
岐阜城111天守台南西隅.jpg
天守台南東隅上り口東側石垣(池田輝政城主時期と考えられるもの)
岐阜城113天守台南入口.jpg
井戸跡から見上げた天守への尾根道東側石垣(織田信長城主時期以降)
岐阜城123天守への通路東面.jpg
1時間ほど山上を見てまわり、ロープウェーで下山、山麓の居館跡へ。居館跡は2007年から岐阜市が発掘調査を行い、入口周辺は復元整備されています。
館跡入口。大きな枡形虎口で巨石列が配置されています。このうち信長時期の姿を残していたのは14石で残りは復元整備されたものです。
岐阜城131館入口.jpg
館跡中心部。中腹の崖上平坦地は、過去の公園造成のため遺構はほとんど確認されていませんが、瓦や鉄釘が出土しており館の中心建物があったと考えられています。縁辺部では池泉遺構が確認されています。
岐阜城135館跡.jpg
館跡中心部の奥。奥には立入できませんが、三段の平坦地となっており、建物跡や池泉遺構が確認されています。
岐阜城141館奥.jpg
館跡遺構は現在埋め戻されていますが、将来的には盛土の上に庭園などが再現されるかもしれません。山麓居館跡を30分ほど見てまわり、次の目的地:加納城跡に向けて岐阜バスに乗り込みました。
[メモ]岐阜城は、戦国時代、斎藤道三の城主時期(15391554)に本格的に整備されたと考えられており、1567年に織田信長が奪取し居城として改造、その後、織豊系の城主が続きましたが、1600年の関ヶ原前哨戦で落城し、廃城となりました。国史跡に指定されたのは山麓居館発掘調査後の2011年です。



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