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津久井城(2) 2024.1.7 [神奈川県]

津久井城本城曲輪を目指して進みます。
堀切を渡った次に「土蔵」という曲輪へ登ります。
津久井城121土蔵へ.jpg
さらに土蔵から「米曲輪」へ登ります。
津久井城123土蔵から米曲輪へ.jpg
米曲輪を土塁に沿って右に回り込み、山頂の本城曲輪へ入ります。発掘調査によって、回り込む通路は石敷きだったことが分かりました。
津久井城136本城曲輪虎口.jpg
米曲輪は本城曲輪の周囲を囲んでいますが、大手口は南西側と考えられています。大手口を見るため米曲輪の南西側から下って行き、「米蔵」という曲輪へ。
④現在は通行できない大手道から米蔵への入口を内側から撮影。倒木が道を塞いでいますが、入って左折する枡形構造です。
津久井城125米蔵枡形虎口.jpg
米蔵曲輪から米曲輪へ登ります(米曲輪大手虎口)。かなりの急登で防御に適していそうです。
津久井城128米曲輪大手虎口.jpg
今度は、峠まで戻って飯縄曲輪を目指し東方向に進みます。
飯縄曲輪(飯縄神社)への登り路。
津久井城112飯縄曲輪方向.jpg
飯縄曲輪の南側の「鐘撞堂」または「烽火(のろし)台」。土塁の南側は「みはらし」という眺望の開けた場所。ここでしばらく休憩します。
津久井城153鐘撞堂(烽火台)、みはらし.jpg
飯縄曲輪の東下の宝ヶ池。津久井城の水の手の一つ。水を湛えていますが、池というより井戸のような大きさです。
津久井城157宝ヶ池.jpg
鷹射場とのあいだの堀切まで行った後、引き返し、車坂・根本登山道ルートで下山。こちらは比較的緩やかな下り道です。行き交う人達と挨拶したり道を譲りあったり、なにかほっとするひとときでした。
[メモ]津久井城の構造については、『津久井湖城山公園ガイドブック 津久井城ものがたり』(Web版は2018年の初版、紙版は2022年第3版)によりました。


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津久井城(1) 2024.1.7 [神奈川県]

相模川の上流、ダム湖の津久井湖の南岸にある戦国時代の山城 津久井城跡を17日に訪れました。JR八王子駅から横浜線で橋本駅へ、橋本駅北口から路線バスに乗り城山高校前バス停で下車。次の津久井湖観光センター前バス停のほうが城山に近いのですが、城山の全景を見るため津久井湖畔の水の苑地へ。
水の苑地から城山北面を撮影。
津久井城161北面.jpg
画面右の峰が本城曲輪(標高375m)、中央の峰が飯縄(いいづな)曲輪(飯縄神社)、左の峰が鷹射場(たかうちば)。津久井湖城山公園として登山道は整備されていますが、湖畔の標高は130mくらいなので245mくらいの高低差を登ることになります。
城山ダムを渡り山麓西側の湖畔展望園路を通って山麓南側に行きます。
湖畔展望園路の途中にある巨大な竪(たて)堀「とばぼり」。
津久井城103とばぼり.jpg
山麓南にあるパークセンターに立ち寄ってパンフレット類を入手し、城坂橋を渡り「御屋敷」という平常時に城主が暮らしていた居館跡へ。
御屋敷(標高207mくらい)。発掘調査により、土塁跡・空堀跡・建物跡・庭園池跡などが確認されました。
津久井城108御屋敷.jpg
このあと、城坂・車坂(男坂)の急登ルートで高低差およそ100mを登ります。山城を登るのは久しぶりで最初は苦しいがだんだん慣れてきます。
④急登ルート15分ぐらいで本城曲輪群と飯縄曲輪群のあいだの峠(堀切跡らしい)に到着。
津久井城113本城曲輪方向.jpg
まず、本城曲輪のほうへ西方向に尾根道を進み、太鼓曲輪前へ。
太鼓曲輪前の崖(切岸)。右(北)に回り込んで登ると太鼓曲輪へ到達するのですが、その前に左(南)方向へ小道を進み「家老屋敷」という曲輪へ。
津久井城115太鼓曲輪下.jpg
家老屋敷。平坦な三角形の曲輪に造成されたもので、この上にある太鼓曲輪の側面(切岸)が切り立っています。家老屋敷の下の斜面の両袖には石垣遺構があるそうです(のぞき込むと石垣らしきものがあります)。遺構かどうかわかりませんが、曲輪の奥の方にも石材が散乱しています。
津久井城144家老屋敷.jpg
もとの道に戻り、太鼓曲輪へ登り、その先の「剣先」という尾根道へ。
剣先。剣先の先に堀切があります。
津久井城118剣先.jpg
堀切。往時はもっと深かったのでは。引橋(木橋)が架かっていたと考えられています。
津久井城119本城曲輪前堀切.jpg
このあと堀切を渡り、階段状の曲輪を登って本城曲輪へ到達することになります。
[メモ]津久井城の構造については、『津久井湖城山公園ガイドブック 津久井城ものがたり』(Web版は2018年の初版、紙版は2022年第3版)によりました。同書によると、津久井城は、戦国時代に小田原北条氏の支城として甲斐武田氏との境目の城の役割と津久井地域統治の拠点の役割を担っていました。1590年の豊臣秀吉による小田原北条氏攻略の際に津久井城も落城し、徳川家康の関東入国後に廃城となりましたが、1664年頃までは麓に代官の陣屋が設けられていました。近年、城跡遺構調査が行われ神奈川県立津久井湖城山公園として整備されました。



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小机城 2021.1.21 [神奈川県]

今回も近隣の城歩き。2021121日(木)、八王子からJR横浜線に乗り小机駅から小机城へ。横浜市港北区にある小机城は、鶴見川南岸の丘陵上に15世紀半ば頃までに築かれたと考えられており、1478年には長尾景春の乱に伴う戦場の一つとして太田道灌の書状に登場する。その後、16世紀前半、北条氏の武蔵進出に伴い北条氏の支城として改造され地域支配の拠点となったが、1590年の豊臣秀吉の北条氏攻略後に廃城となった。現在は、小机城址市民の森として管理されている(埋蔵文化財包蔵地だが、史跡指定なし)。

①縄張図(城郷小机地区センターに展示)に今回の歩行ルートを表示。

小机城202縄張図.jpg

なお、現地の表示板では西郭を本丸、東郭を二の丸としている。城郷小机地区センター2階に縄張図・推定復元ジオラマ・歴史説明などの小机城展示コーナーがある(続日本100名城スタンプ・パンフレットは1階)。駅から10分程度北西方向に歩くと城山南麓の根古屋に着く。山道を登ると直ぐに西郭南側堀の外側の土塁上へ達する。

②西郭南側堀の外側の土塁上の通路(帯郭)から西郭南側の馬出を撮影。

小机城113西郭南馬出.jpg

馬出を右折して土橋を渡り西郭へ。

③西郭南虎口側から土橋、馬出を撮影。

小机城119西郭虎口から土橋.jpg

④西郭内部。周囲は土塁で囲まれている。ビニールシートは何のためだろうか?

小机城122西郭内.jpg

⑤西郭東側から土橋で繋がるつなぎの郭を撮影。つなぎの郭は西郭・東郭間にある南北に細長い郭。

小机城128つなぎの郭西虎口.jpg

つなぎの郭を横切って東郭へ。

⑥東郭南西隅にある櫓台跡。城内の最高所。

小机城139東郭南西櫓台.jpg

東郭の北東隅から降りて東郭の周囲(北側→北西側)の堀底(遊歩道になっている)を廻る。

⑦東郭北西側堀底。画面左が東郭、右が外側の土塁。

小机城151東郭北側堀.jpg

⑧つなぎの郭北東隅下の堀底。このあたりが最も高低差がありそう。

小机城152つなぎの郭北東側堀.jpg

ここから南(画面左)のつなぎの郭・東郭間の土橋に上り、更に南に下って南側の土塁上の通路(帯郭)を通り下山。

⑨帰りに城山東側全景(標高およそ40m、比高およそ30m)を撮影。

小机城109全景.jpg

小机城滞在時間は約1時間、巨大な空堀遺構に圧倒される。江戸時代に制作された古城図でも他の城絵図とは異なり郭の切岸が巨大な方形で描かれているのも納得。

⑩日本古城絵図より(国立国会図書館デジタルコレクション)。外周の土塁(帯郭)は描かれていない。

小机城古城図jpegOutput2.jpg

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石垣山城 2019.4.13 [神奈川県]

2019年4月13日(土)、快晴。今日は、小田原市の石垣山城と沼津市の興国寺城を目指す。まず、こだま643号で小田原駅10時1分着(途中下車)。10時24分発のJR東海道線で10時26分早川駅着。ここから石垣山(標高262m)まで、箱根ジオパークのパンフレット(小田原駅観光案内所で入手)のコース地図をガイドに歩いて行く。登り道は、石垣山農道となっており緩やかな登りで、途中8カ所に、1590年の小田原合戦の際、石垣山に参陣した武将たち(武将6名+千利休+淀殿)の案内板がある。

①石垣山城の近くにある秀吉の案内板。11時4分頃到着。

石垣山城001参陣した武将たち.jpg

石垣山城は、1590年に豊臣秀吉が北条氏の小田原城を包囲攻略するため、秀吉本営として築いた総石垣造りの城である。築城の指示は46日、514日頃には石垣が完成し、626日に本陣を移したとのこと(「小田原城天守閣展示案内」より)。75日に北条氏は降伏したが、出土瓦には天正19年(1591年)というヘラ書きがあることから、その後も築城は続行していたらしい(前掲同書)が、いつ頃廃城となったか不明。

②登ってきた道の右側に南曲輪の石垣が見える。近づいて東南隅角部を撮影。巨石が使われている。石垣には箱根火山の溶岩(安山岩)を利用。

石垣山城007南曲輪東南隅.jpg

③南曲輪への虎口。崩落した石垣が散らばっている。歩行に注意。

石垣山城009南曲輪虎口.jpg

④本丸東虎口を通って本丸へ。

石垣山城020本丸東虎口.jpg

⑤本丸東側から小田原城を眺望。画面の中央に小田原城天守が見える。

石垣山城023本丸より小田原城.jpg

⑥本丸南西隅の天守台。石垣は崩落している。

石垣山城025本丸より天守台.jpg

⑦二の丸から本丸北虎口を撮影。画面左側が本丸である。枡形虎口の形状となっている。

石垣山城030本丸北虎口.jpg

⑧北虎口から本丸北側の石垣を撮影。残存状態が良い箇所もある。

石垣山城032本丸東北面.jpg

⑨二の丸から本丸北側を撮影。

石垣山城034二の丸より本丸東北面.jpg

⑩二の丸の北にある井戸曲輪へ。石垣山城最大の見所である。すり鉢状の底まで降りて行く。残存状態の良い石垣で囲まれており圧巻。

石垣山城036井戸曲輪.jpg

⑪二の丸東側石垣も残っている。

石垣山城046二の丸東側.jpg

12時10分過ぎに早川に向けて下山。早川駅発12時49分で小田原駅に戻り、13時28分発こだま655号に乗車し、次の目的地、興国寺城を目指す。ところで、電車に乗ってから、続日本100名城のスタンプを忘れていたことに気づいた(駐車場のトイレ前にあるとのことだった)。


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