SSブログ

美濃金山城(1) 2024.1.30 [岐阜県]

木曽川中流域の左岸、可児市兼山の古城山(標高276m)に築かれた美濃金山(かねやま)城跡を130日に訪れました。美濃金山城は森忠政城主時期(15841600年)に天守を持つ織豊系城郭に改造されたと考えられており、忠政の海津城(松代城)転封後、犬山城主の支配下となり1601年に破却(破城)され、城内の諸施設は犬山城に移築(金山越)されたと伝わっています。2006年度から発掘調査が行われており、2013年に国史跡に指定されました。
名古屋駅から名鉄犬山線・広見線に乗り明智駅へ、明智駅からYAOバスで城戸口バス停下車、可児市戦国山城ミュージアムへ向かいます。
戦国山城ミュージアムの北面(標高約100m)。元々は1885年に兼山小学校の校舎として建てられたもので、兼山歴史民俗史料館を経て現在に至っています。北面は三階、南面(玄関)は二階という懸け造りの構造になっています。ここで、見どころ・ルートを確認、香川元太郎さんの復元イラストのクリアファイルなどを購入し城跡へ向かいます。
美濃金山城101戦国山城ミュージアム.jpg
城戸坂の歩道を南方向(現在の兼山小学校へ向かう通学路らしい)へ10分程度歩くと「古城山登山口」の表示(標高約140m)があり、そこから急登を10分ほど登ると出丸(標高約226m)に到着します。
出丸。城の西端に位置し、南面に石垣遺構が残っています。現在、曲輪内は駐車場などになっています。
美濃金山城115出丸.jpg
この次は、舗装道路を歩いて城の東端の大堀切りを見に行きます。
大堀切り。舗装道路が造成されたため旧状は不明ながら、城の南東端の曲輪「左近屋敷」に繋がる尾根を断ち切ったものです。
美濃金山城118大堀切り.jpg
折り返して本丸への登城路に戻ります。登城路の右側が二の丸南斜面、左側が三の丸南斜面になりますが、上部には石積み、下部には転落石を観察することができます。少し登ると三の丸門跡に到着。
三の丸門跡。礎石が残っています。この先の左側(西側)が三の丸。
美濃金山城126三の丸門跡.jpg
門跡の右側には、残存状態の良い二の丸西面石垣があります。隅角部や天端部は崩されています。
美濃金山城129二の丸西面石垣.jpg
三の丸の北面に岩盤を削って造られた水の手への虎口跡。
美濃金山城131水の手虎口.jpg
三の丸の北方向の一段上の三の丸北曲輪から本丸北西面を撮影。三段の石垣(最上段は見えにくい)を観察することができます。下のほうには転落石が散乱しています。
美濃金山城141本丸北西面.jpg
南側に戻って二の丸へ。二の丸から上段の南腰曲輪へは二つの登城ルートがあります。一つは南に張り出した二の丸を東方向へ進み、南腰曲輪東斜面石垣に沿って北進する間道ルート。
途中にある南腰曲輪東斜面石垣。腰巻石垣のようです。
美濃金山城151南腰曲輪東面.jpg
もう一つは二の丸手前の坂を北進し枡形虎口から入る大手ルート。
大手枡形虎口。枡形内を右折して南腰曲輪へ入ります。
美濃金山城159枡形虎口.jpg
ここから本丸へは二つの登城ルートがあったようですが、現在は、南腰曲輪から本丸南東斜面に登るルートのみとなっています。もう一つは通行できませんが、南腰曲輪の東側から間道を通り東腰曲輪経由で本丸東側に入るルートがあったようです(香川元太郎さんの復元イラストに描かれています)。
本丸南西隅角石垣。上部は崩されていますが、算木積みが観察できます。
美濃金山城169本丸南隅.jpg
このあと本丸へ向かいます。
[メモ]本記事の曲輪名称は可児市の美濃金山城跡パンフレットによりました。



nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。