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二本松城 2020.10.3 [福島県]

2020年10月3日(土)、東北本線で白河駅発131分→郡山駅乗換→二本松駅142分着、二本松城に向かう。二本松城は、1414年に畠山満泰が白旗ヶ峯(標高345m)に築城、1586年には伊達政宗の支配下となるが、1590年豊臣秀吉の奥州仕置後は、会津若松城に入った蒲生氏、上杉氏、加藤氏の支城として近世城郭化が進められ、1643年に白河から転封となった初代二本松藩主の丹羽光重によって大規模改修がなされてほぼ現在に残る姿となったが、戊辰戦争で建物は焼失。近年、学術調査、本丸石垣修築が行われ、2007年に国指定史跡となった。まず、大手門跡へ。

①大手門跡。枡形虎口の亀甲積み石垣の一部が道の両側に残る。二本松城の南側に東西に延びる丘陵地帯(=防衛ライン)の南側の旧奥州街道寄りに、1832年、幕府の許可を得て櫓門形式の大手門が築かれたが、戊辰戦争で焼失、取り壊された。この坂道は久保丁坂とよばれ、峠は切り通しとなっている。久保丁坂を上る前に、二本松市歴史資料館に立ち寄ってパンフレット類とスタンプを入手。

二本松城101大手門.jpg

②久保丁坂を下る途中で城跡全景を撮影。山頂部が本丸、麓が三ノ丸。三ノ丸にはかつては御殿が置かれていたが、明治維新後は製糸工場が設置された。現在では毎年秋に菊人形の会場(2020年は感染症対策で菊花展に縮小)となる。市では御殿の復元を検討している。三ノ丸上段は訪問時、発掘調査中。なお、画面右下に文化観光施設(仮称:二本松城歴史館)を建設中。

二本松城105全景.jpg

③三ノ丸前を流れる二合田用水。丹羽光重が命じて、安達太良山の中腹から城内へ水を引いて作らせた用水路。

二本松城109二合田用水.jpg

④箕輪門。三ノ丸へはここから入る。現在の建物群は1982年に鉄筋コンクリートで建設されたものだが、幕末の城絵図に二重櫓は描かれていないことから歴史的事実とは異なる模擬建造物のようだ。

二本松城113箕輪門.jpg

⑤三ノ丸枡形虎口。箕輪門の次の関門。

二本松城116枡形.jpg

⑥洗心亭(福島県指定文化財)。城内の茶亭を1837年に領内に移築していたため戊辰戦争の戦火を逃れ存続、1907年に現在地に再移築された(その時、洗心亭と名付けた)。その後一部改造・増築が行われたが、2002年に修復工事が行われ本来の姿としている。

二本松城120洗心亭.jpg

⑦るり池。三ノ丸西側奥には二合田用水を利用した滝が流れ落ちる回遊式庭園がある。

二本松城121るり池.jpg

⑧搦手門跡。本丸の西側下にある。発掘調査で蒲生氏時代の遺構(冠木門か)と加藤氏時代の遺構(高麗門か)を確認。丹羽氏時代は石垣だけだったようだ。

二本松城127搦手門跡.jpg

搦手門跡から坂道を上り頂上の本丸へ。頂上部全面に石垣造りの本丸が屹立し、圧倒される。

⑨本丸東側石垣。画面右奥が天守台にあたる。本丸石垣は当初西側半分のみ現存していると考えられていたが発掘調査により遺構を検出、全面修築・復元工事を行い1995年に完成した。調査の結果、丹羽氏改修前の蒲生氏時代、加藤氏時代の石垣も検出している。本丸内に建物は、少なくとも丹羽氏時代には存在せず(石垣のみ整備)。

二本松城142本丸東隅.jpg

⑩移設展示されている本丸東側旧石垣。慶長期の古式の穴太積みで蒲生氏時代とされる。

二本松城136本丸旧石垣.jpg

⑪二段石垣。本丸北西側斜面にあり、上下二段で構築されている。野面石主体の古式の穴太積みで二本松城最古の石垣とされている。

二本松城153二段石垣.jpg

このほか、畠山氏時代の中世山城遺構もあるようだが、今回はここで下山し退城。二本松駅16時21分発→郡山駅16時45分着、東北新幹線に乗換え帰途についた。

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小峰城 2020.10.3 [福島県]

白河駅近くの小峰城(白河城ともいうが、白河市では2010年の国史跡の指定にあたり「小峰城跡」とした)を訪れたのは2020年10月3日(土)のこと。東北新幹線新白河駅1040分着、東北本線に乗換え1054分発→1057分白河駅着。駅南側改札口から出て線路下の地下道を通り駅北側に出て少し歩くと二之丸跡に入る。

①二之丸跡から望む本丸の景観。二之丸跡は芝生公園化されている。本丸は上下二段構成となっている。

小峰城105二之丸から (2).jpg

城は阿武隈川南の独立丘陵(本丸のあたり)と河岸段丘(二之丸・三之丸)に立地している。南北朝時代に結城氏が丘陵部を中心に築城、1590年の豊臣秀吉による奥州仕置後は、会津若松城に入った蒲生氏の支城として整備され、その後、1627年に初代白河藩主となった丹羽長重が幕命により本丸・二之丸の総石垣など大改修を行い現在に残る姿となった。建物は戊辰戦争で焼失したが、近年、白河市では三重櫓・前御門を木造で復元。2011年の東日本大震災(白河市は震度6強)では10カ所での石垣崩落等の被害が発生、崩落前の写真から崩落石材の元位置を特定するなどの作業を行い、伝統的な工法により修復工事(文化財災害復旧事業)を進め、20193月末に完了した(福島民友新聞によると総事業費は約50億円)。

②二之丸藤門跡。説明表示はないが、二之丸東側虎口の藤門跡(枡形虎口櫓門)の片側の石垣と思われる。二之丸石垣残存箇所はこのあたりだけ。

小峰城109二之丸東北部石垣.jpg

二之丸跡を西方向へ進み、小峰城歴史館へ。復元ジオラマ、復元VR映像などあり充実している。

③月見櫓石垣。本丸下段南西側の二重櫓台で、震災からの修復の痕跡が生々しい。

小峰城116月見櫓石垣.jpg

④清水門跡。本丸の南虎口で、往時は巨大な櫓門があった。白河市では復元に向けて「小峰城一石城主」プロジェクト(寄付募集)を立ち上げている。

小峰城120清水門跡.jpg

⑤多聞櫓石垣。本丸上段南側の多聞櫓下の石垣で、切石を用いる切込接(きりこみはぎ)乱積みの一種だろうが、小峰城の特徴である半円を描く積み方が見られる。

小峰城125多聞櫓石垣.jpg

⑥本丸上段東側の三重櫓と前御門。発掘調査と「白河城御櫓絵図」(1808年作成)に基づき、三重櫓は1991年、前御門は1994年に木造で復元された。

小峰城128三重櫓・前御門 (2).jpg

⑦本丸上段から腰曲輪北側を撮影。本丸上段下の西側と北側にある腰曲輪は現在整備中で立入できない。

小峰城134腰曲輪北側.jpg

⑧桜之門跡。本丸上段の南側の虎口で枡形虎口となっている。

小峰城138桜之門跡.jpg

本丸清水門跡→二之丸藤門跡から退出し、北側の搦手門跡を目指す。

⑨搦手門跡。

小峰城147搦手門跡.jpg

搦手門跡から土橋を渡り、三之丸北側へ向かう。

⑩三之丸北側石垣。搦手門の東側(三之丸・外郭の北側)に延々と石垣が続いているが立入禁止エリアである。このエリアも国指定史跡範囲なので今後どのように整備するのか気になるところ。

小峰城153北側石垣 (2).jpg

西方向へ引き返し、本丸北側・西側の堀(へら鮒釣りで賑わう)に沿って歩く。

⑪本丸北西隅。本丸下の帯曲輪北西隅の石垣(水懸口)は、解体修復工事が20208月に完了したばかり。

小峰城156本丸北西隅 (2).jpg

小峰城滞在は2時間ほどで、白河駅13時1分発の東北本線で次の目的地、二本松城へ向かう。

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会津若松城 2017.5.2 [福島県]

もともと夏場は暑くて城めぐりは控えていますが、今年は感染症対応でさらに自制中。という訳で、過去の記録の整理ということで、2017年5月2日(火)に訪れた会津若松城。

都内から東北新幹線で郡山駅下車、高速バス(会津交通運行)で郡山駅前10時5分発→鶴ヶ城・合同庁舎前11時20分着。南方向へ歩くと西出丸が見えてくる。城は中世の蘆名氏の館が起源とされ、1590年の豊臣秀吉奥州仕置後に入った蒲生氏郷により豊臣系城郭へ大改造され、その後、1639年(加藤明成時代)に大改修されたものが、現在の遺構となっている(国指定史跡)。

①西出丸西面越しの天守。西出丸は角馬出型で、南東隅に内讃岐門、北東隅に西大手門があった。蒲生氏郷時代に造られた馬出を1639年に拡張し石垣造りに改造したもの。現在、内部は駐車場となっている。

会津若松城102西出丸西.jpg

②北出丸石垣上から追手門大腰掛を撮影。西出丸を南から北へ通り抜けて、北出丸外周を廻り追手門跡へ。虎口は枡形虎口で、外側にあたる部分に大腰掛(防衛陣地の銃座)、右折すると櫓門があった。北出丸も西出丸と同形式で南東隅に追手(大手)門、南西隅に西門があった。

会津若松城120北出丸大手門大腰掛.jpg

③北出丸から南の椿坂を通り本丸帯郭北虎口の太鼓門跡へ。本丸は台地上にあり、出丸からは坂を登ることになる。城地は東から西へ延びる扇状地上にあるようだ。

会津若松城123本丸太鼓門.jpg

④天守台南西隅。天守台石垣は自然石を積んだ野面乱積みの緩い傾斜で蒲生氏郷時代のものとされる。天守は、1593年(蒲生氏郷時代)に七重で築かれ、1611年の会津大地震で破損後、1639年に五重に改造され、戊辰戦争を耐え抜いたものの、1874年に他の建物と一緒に取り壊され、1965年に鉄骨コンクリートで外観復元された。

会津若松城140天守南西面.jpg

⑤鉄(くろがね)門から本丸へ入り、入場券を購入し天守へ登る。天守最上階から南側の北走長屋・鉄門(1965年鉄骨コンクリート外観復元)、南走長屋・干飯櫓(2000年、木造復元)を撮影。本丸帯郭と本丸(御殿側)を東西に仕切っている。

会津若松城150天守より走長屋.jpg

⑥天守最上階から東側の本丸を撮影。手前の芝生一帯が御殿跡、中央の柵で四角に囲まれた所が御三階跡、右端が茶室麟閣。

会津若松城148天守より御三階跡.jpg

⑦茶室麒閣。千利休の子の少庵が蒲生氏郷のために造ったと伝えられる。戊辰戦争後、市内の茶人森川氏邸に移築された後、1990年に元の場所に移築復元された。別棟で抹茶をいただくことができる。

会津若松城163茶室麟閣.jpg

⑧茶壺櫓跡から本丸東側石垣を撮影。打込接(うちこみはぎ)布積みで加藤明成時代のもののようだ。本丸の周囲ではこの一面だけが高石垣(19m)で、他は土塁上に石垣を築いた鉢巻石垣となっている。橋(廊下橋)の右側(東側)は二の丸。

会津若松城160本丸東面.jpg

本丸から廊下橋を渡り二の丸へ、二の丸東門跡から三の丸へ入り北の埋門跡あたりから城外へ出て天寧寺町土塁へ。

⑨天寧寺町土塁。蒲生氏郷時代に造られた、城下町を囲う総構の東端の土塁遺構。

会津若松城177総構土塁.jpg

甲賀町口郭門跡の石垣裏側。天寧寺町土塁から御薬園に立ち寄った後、総構北側入口の甲賀町口郭門跡(大手筋にあたる)へ。正面写真はよく見かけるが、これは裏側。次に向かうのは本丸御三階が移築された阿弥陀寺。

会津若松城181甲賀町口郭門.jpg

⑪戊辰戦争後、阿弥陀寺に移築され本堂として使用された御三階。外観は3階だが、内部は4階になっている。1階張出部分(唐破屋根の玄関)は本丸御殿玄関を移築したもの。阿弥陀寺には戊辰戦争の東軍墓地がある。

会津若松城183阿弥陀寺御三階.jpg

歩き疲れて最後は、阿弥陀寺東から周遊バス「あかべえ」に乗り若松駅前へ。高速バスで、若松駅前ターミナル1550分発→郡山駅前1710分着、東北新幹線経由で佐野市へ向かう(翌日は唐沢山城へ)。

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