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坂田城 2023.1.9 [千葉県]

202319日(月)、千葉県横芝光町の九十九里平野に突き出た半島状台地にある坂田城を訪れる。都内から総武本線で横芝駅へ。駅舎は千葉県最古(1897年)とのこと。まず、駅から西方向へ30分ほど歩いて坂田池へ行く。
①坂田池越しの城山南面(城山の標高は32mくらい)。池はマガモの越冬地になっているようだ。
坂田城104坂田池.jpg
池の周囲は公園として整備されており、一周1kmほどの遊歩道は散歩コースとして最適。池は台地と砂州(第1砂堤列)のあいだの低湿地に形成されたもののようで、現在は利根川の水を房総半島へ運ぶ房総導水路の調整池の役割を担っている。
城跡へは南西側の登り口から入る。
②城跡案内図(左が北)。今回のルートをオレンジ色で加えた。南北に細長い半島状台地を東西に空堀と土塁で区切る直線連郭式の典型とされる。南から無城(主郭)→見台(馬出)→登城(二郭)→三郭へ歩くことになる。「無城」は元々「牙城」(くずし字の無と牙は似ている)だったようで主将のいるところ=主郭のこと。
坂田城109案内図2.jpg
③城山南西登り口。
坂田城110登り口.jpg
④主郭西腰曲輪。ここはきれいに整備されている(梅園へのルートのためだろうか?)。
坂田城111西腰郭.jpg
⑤主郭西虎口を内側から撮影。主郭は樹木・藪が生い茂っているが、周囲は土塁で囲まれている。
坂田城112主郭西虎口.jpg
⑥主郭東虎口と土橋を見台(馬出)側から撮影。虎口左右の土塁は藪で分かりにくいが横矢掛りで突き出ている。土橋の左右の空堀は深そうだが樹木・藪が生い茂っている。
坂田城116見台→主郭.jpg
⑦見台(馬出)北虎口と土橋を登城(二郭)側から撮影。登城(二郭)→土橋→画面左側の見台(馬出)→右折して土橋→画面右側の主郭に至るルートとなっている。空堀・土塁に樹木・藪が生い茂って分かりにくいのが残念。梅まつりの頃には下草をきれいにするのかもしれない。
坂田城122登城→見台.jpg
梅園などの畑になっている登城(二郭)を北進する。
⑧登城北虎口を三郭側から撮影。この虎口左右の土塁も藪で分かりにくいが横矢掛りで突き出ている。
坂田城131三郭→登城.jpg
⑨三郭内部は梅園や梨園などの畑になっている。
坂田城138三郭北側.jpg
⑩三郭北虎口を三郭側から撮影。三郭の北側は土塁を中に挟んだ二重空堀となっている。
坂田城139三郭北虎口.jpg
⑪三郭北虎口を城外側から撮影。現在は農道が直線的に中央の土塁を貫いているが、本来の城道は画面左(東側)の堀底に下りて土塁の東側の切れ目を廻って三郭北虎口に上るルートだったとされる(二重枡形虎口)。
坂田城148三郭北外側土塁から.jpg
帰り道は、三郭の東側から下りて横芝駅へ戻り帰路についた。
[メモ]坂田城は戦国時代に上総の国衆の井田氏の拠点として整備された。井田氏は本佐倉城の千葉氏に属していたが、のちに小田原北条氏の指揮下に入り、1590年の北条氏の関東支配解体後は廃城となった。現在は、横芝光町指定史跡となっている。なお、本記事の解説部分は主に現地説明板と峰岸純夫・齋藤慎一編『関東の名城を歩く南関東編』(2011年)によりました。



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佐倉城 2021.4.7 [千葉県]

桜の名所として有名な佐倉城、訪れた202147日(水)の時点では、ソメイヨシノはすっかり葉桜、かろうじて普賢象など開花の遅い品種が咲いている状態。佐倉城は印旛沼の南、印旛沼へ注ぐ鹿島川と高崎川の合流点の東北岸に突き出た台地上に位置する。土井利勝が徳川家康の命により1611年から1617年にかけて戦国時代の鹿島城跡に土造りの近世城郭を築城したが、明治維新後に陸軍歩兵連隊が置かれ建物は撤去された。現在は、佐倉市指定史跡となり、城址公園として整備されている(芝生が各所にありピクニックに最適)。京成佐倉駅から西へ1kmほど歩いて国立歴史民俗博物館入口へ。

①田町門跡。水堀に架かる土橋を渡ったところに佐倉城外郭北虎口の田町門があった。

佐倉城1202外郭田町門跡.jpg

愛宕坂を登り歴博の南側へ廻り、三の丸北虎口の椎木門前の角馬出へ。このあたりは侍屋敷のあった椎木曲輪にあたる。

②角馬出跡。明治維新後に陸軍歩兵連隊の兵営設置のため整地されたが、戦後発掘調査のうえ復元された(堀の深さは5.6mのところ3mに復元)。

佐倉城1211角馬出.jpg

椎木門跡から西へ「へび坂」を下り西出丸へ。ここに城内にあったと伝わる薬医門が再移築されている。

③伝佐倉城内薬医門。城内のどこにあったのか不明のため「伝」のようだ。西出丸は樹木が生い茂ってピクニックには不向き。

佐倉城1214薬医門.jpg

水堀に沿って南へ外周を歩き、南出丸(清水出丸)へ。

④南出丸。こちらはきれいに剪定されている。背後の丘が本丸で標高35m、比高30m、西と南は崖になっている。

佐倉城1221南出丸.jpg

⑤南東へ続く外郭土塁(城南堤)。水堀は埋められているが、直線に続く土塁が壮観。

佐倉城1222城南堤.jpg

ここから二の丸へ崖道を登り、本丸南東虎口の台所門跡から本丸へ。

⑥天守台跡。後ろの土塁に一階の一部が架かっていたとされる。土井利勝の築城時に本丸の南西隅に天守が築かれたが1813年に焼失。その姿は、土井利勝が佐倉城から転封となった古河城で築いた御三階櫓の設計の基になっているとされ、古河城御三階櫓の古写真等から飾破風のない層塔型、三重四階と推測されている。

佐倉城1231天守台.jpg

本丸東虎口の一の門跡から出て二の丸へ。

⑦二の丸側から本丸一の門跡を撮影。土橋の両側は空堀(本丸の東側・北側は空堀)だが、現在は樹木で覆われており深さが実感しにくいのは残念。

佐倉城1227一の門跡.jpg

二の丸を東へ進み二の門跡から三の丸へ。

⑧三の丸側から二の丸二の門跡を撮影。土橋の両側は空堀(二の丸の東側・北側は空堀)だが、こちらも樹木で覆われている。

佐倉城1225二の門跡.jpg

さらに東へ進んで三の門跡から外郭(惣曲輪)へ。

⑨外郭側から三の丸三の門跡を撮影。三の門は左折した枡形空間の後ろに構えられていた。三の丸東側の空堀はきれいに整備されている。

佐倉城1236三の門跡.jpg

ここからさらに東へ進めば佐倉城址公園センター(復元模型など展示、スタンプ設置場所)があるが3年前に訪れたので割愛し、三の丸北東側の堀底道を下って姥が池へ。

⑩姥が池で昼寝中のカモ。

佐倉城1240姥が池 .jpg

菖蒲園を通り京成佐倉駅に戻り帰途についた。なお、本記事の解説内容は、現地説明板のほか佐倉市「日本百名城佐倉城散策マップ(裏面に佐倉城大絵図付)」・「佐倉城址さくらマップ」によりました。

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本佐倉城 2021.3.14 [千葉県]

千葉県酒々井(しすい)町と佐倉市にまたがる本佐倉(もとさくら)城を訪れたのは2021314日(日)のこと。日暮里駅から京成本線特急に乗車し54分で大佐倉駅へ、10分程度東方向へ歩くと本佐倉城跡東光寺ビョウに到着。本佐倉城は印旛沼の南側に突き出た台地に位置し、戦国時代、下総の名門千葉氏が居城として築城した。1590年、豊臣秀吉の小田原北条氏攻略に伴い、北条氏傘下に入っていた千葉氏は滅亡、徳川家康の関東移封後は廃城となった模様。近年、発掘調査が進められており、1998年には内郭部分が国指定史跡となり整備されている。

①城跡全体図(南麓に設置されているもの)。今回の歩行ルート(内郭部分は散策マップのルートをたどっている)を表示。

本佐倉城141全体図(2).jpg

「城山」(Ⅰ郭)、「奥ノ山」(Ⅱ郭)、「倉跡」(Ⅲ郭)、「東山馬場」(Ⅴ郭)、「東光寺ビョウ」(Ⅵ郭)、「セッテイ山」(Ⅶ郭)が内郭で、これらの名称は江戸時代末の成田参詣記の城址図記載名称によるようだ。

②東光寺ビョウから東山虎口方向を撮影。湾曲して突き出ている台地の東側に東山虎口がある。

本佐倉城105東山虎口方向.jpg

③東山虎口。折れ曲がった堀切状の虎口で、前後2箇所の門跡が確認されている。ここを通り抜けると東山馬場へ出る。

本佐倉城108東山虎口.jpg

④東山土塁上から北方向の眺望。中央を横切るのが京成本線で、その北側あたりまで干拓前の印旛沼は広がっていた。中央に筑波山の山頂部が見える。

本佐倉城113東山からの眺望 (2).jpg

東山馬場には城跡案内所が設置されているが、感性症防止対策で休館中(続日本100名城スタンプはトイレ前に設置。トイレは使えます)。Ⅳ郭を通り、城山へ向かう。

⑤城山(画面右側)と奥ノ山(画面左側)の間の堀切。この間に木橋が架かっていたとされる。

本佐倉城121城山・奥ノ山間の堀切.jpg

⑥城山南虎口。左折して右折する枡形虎口で、前後に2箇所の門跡が確認されている。

本佐倉城124城山虎口.jpg

⑦城山郭内(東方向を撮影)。発掘調査により主殿、会所、庭などの遺構が確認されており、主郭(本丸)に相当する郭のようだ。

本佐倉城129城山西→東方向.jpg

⑧奥ノ山郭内(西方向を撮影)。画面中央部の一段高い所に妙見宮(千葉氏の守護神)があったとされる。

本佐倉城135奥ノ山東→西方向.jpg

⑨倉跡郭内(東方向を撮影)。三段に造成されており、東下方(画面中央)がⅣ郭、東山馬場となる。

本佐倉城138倉跡西→東方向.jpg

倉跡と奥ノ山の間を南側麓に降りる。

⑩内郭南側の景観。画面右から城山、奥ノ山、倉跡と続く。標高33m、比高25mの小高い丘である。

本佐倉城145内郭南側.jpg

さらに南の外郭の向根古屋(むかいねごや)へ。

⑪向根古屋の馬出遺構(南方向を撮影)。空堀に囲まれた馬出の遺構(現状、畑)が残っている。

本佐倉城150向根古屋馬出.jpg

内郭西側のセッテイ方向へ。竹藪の小道を抜けるとセッテイ西側の空堀へ出る。

⑫セッテイ西側の空堀。現状は藪が生い茂っているが、東に突き出た台地(内郭)の遮断線として大規模な堀となっている。

本佐倉城157セッテイ空堀.jpg

セッテイ山へ向かって、空堀からセッテイ北西端の虎口へ入ったが、倒木と藪で進むことができず、東光寺ビョウへ脱出。セッテイ山の周囲はあまり整備されずに残されているようだ。東光寺ビョウの南奥虎口側から入り直す。

⑬セッテイと倉跡の間の空堀。この空堀も規模が大きい。

本佐倉城164倉跡・セッテイ間空堀.jpg

⑭セッテイ山入口。倒木多数のため立入禁止となっており退去。セッテイとは、接待のことらしいが、空堀で遮断された独立性の高い郭なので、人質郭との説もある。

本佐倉城169セッテイ山.jpg

本佐倉城の滞在時間はおよそ1時間半、整備エリアは軽装でかまわないが、未整備エリアへはそれなりの装備をして訪れることが必要と感じた。酒々井町ウェブサイトには、散策マップをはじめ様々なパンフレット・情報が掲載されており大変参考になった。



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