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篠山城 2024.2.17 [兵庫県]

217日から福知山線沿線の城を訪れます。まず、篠山城跡へ。新大阪駅から篠山口駅へ、駅西口から神姫バスに乗り16分ほどで二階町バス停へ。南方向へ少し歩き大手馬出跡(現在は緑地広場と駐車場)から大手土橋を通り三の丸へ(大手枡形虎口の地表痕跡なし)。
さらに南進し二の丸北西隅へ。このあたりは廃城以降、修理されていない石垣とのこと。隅角部は完成された算木積みですが隙間が少し目立ちます。このあたりは石垣下の犬走りと堀端に桜が植栽されており石垣好きとしては石垣景観が損なわれ少々残念です。なお、画面左の突き出た石垣は二の丸北枡形虎口です。
篠山城104二の丸北西隅.jpg
二の丸北廊下門跡。二の丸北枡形虎口の入口で内堀を渡る土橋上が屋根付廊下構造の門となっていました。
篠山城109北廊下門跡.jpg
画面右手前の二の丸北東石垣は明治時代に崩落したままとなっていましたが、196668年に修復復元されました。画面左奥は本丸北東石垣、画面下の北内堀東側は200508年に復元整備されたもの。
篠山城117二の丸北東隅.jpg
三の丸を東進し、東門跡から土橋を通り東馬出跡へ。
東馬出跡。内側の土塁は失われていますが、周囲の堀と石垣は残っています。
篠山城121東馬出.jpg
三の丸に戻り、北廊下門跡から二の丸北枡形虎口へ。右折して中門跡、左折して鉄門跡を通る二重外枡形虎口となっています。二の丸に入ると復元された大書院があるのですが、そこに入るのは後にして本丸へ。
本丸北西隅。本丸は二の丸の南東側に築かれています。
篠山城127本丸北西隅.jpg
本丸の南東隅が天守台です。天守は築かれず、南東隅に隅櫓、南と東に土塀が築かれました。
篠山城131天守台北西隅.jpg
二の丸に戻り、二の丸南の埋門跡へ。三方向に石段が設置されています。
篠山城139埋門.jpg
埋門跡から出て坂を下るところには、かつては外枡形虎口があり南廊下門を通って三の丸へ出る構造でした。後で復元模型を見ると南廊下門は急角度で設置されていたようで興味深い場所です。現在、枡形虎口石垣は失われています。
篠山城145南廊下門跡.jpg
大書院横の展示室にある復元模型の南廊下門付近。
篠山城175ジオラマ.JPG
三の丸から見上げる天守台・本丸・二の丸の南面石垣。城内で最も迫力のある場所です。下の南内堀石垣は最近復元整備されました。現在、南内堀西側周辺の復元整備が行われているようで、犬走りへの立入はできません。篠山城150本丸南面.jpg
三の丸南門跡から土橋を通り南馬出跡へ。
西外堀と三の丸南西隅。樹木が生い茂っている一帯が唯一残っている三の丸土塁です(最近、三の丸南端に土塁が修景的整備されています)。
篠山城161三の丸南西隅.jpg
南馬出跡は周囲の堀だけでなく内部の土塁も残っています。
篠山城160南馬出.jpg
東進して河原町妻入商家群を見た後、再び三の丸に戻り埋門経由で二の丸大書院へ。
大書院南面。手前には御殿跡が平面表示されています。藩の公式行事などに使用されていた大書院は廃城後も残され学校校舎や公会堂として利用されましたが、1944年に発生した火災で焼失、2000年に復元されました。展示室の復元模型を見たあと大書院内部を見てまわります。
篠山城172大書院.jpg
城跡を出たあと大正ロマン館でしばし休憩。神姫バスで篠山口駅まで戻り、福知山線で福知山駅近のホテルに向かいます。丹波篠山滞在は3時間20分でした。
[メモ]篠山城は、1609年に徳川家康の命により天下普請として篠山盆地のなかの独立丘陵(笹山)に築かれました。明治に入って廃城となり大書院を除き建物は取り壊され、城跡には教育施設等が設置されました。1956年には国史跡に指定され遺構の修復・整備が行われています。なお、本記事の解説部分は、おもに丹波篠山市ウェブサイトの『史跡篠山城跡整備基本計画』(2019年)によりました。



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