SSブログ
島根県 ブログトップ

松江城 2017.4.1 [島根県]

松江城を訪れたのは2017年4月1日(土)のこと。羽田空港10時15分発→出雲空港11時40分着。着陸の際には上空から松江城を見ることができる。このほかでは、羽田空港→広島空港への降下中に備中松山城を見たことがある。

①上空からの撮影。着陸時は撮影失敗のため、これは離陸時の右端座席からの撮影で、右が宍道湖、中央右の楕円形が松江城。

松江城上空 (2).jpg

出雲空港からは空港連絡バスで「松江しんじ湖温泉」に40分程度で着く。ホテルにチェックイン後、松江城へ。関ヶ原戦後、月山富田城に入った堀尾吉晴が、新たな拠点として1611年に完成させた城である。

②三の丸前から本丸・二の丸上の段方向を撮影。三の丸は後の松平氏時代に政庁としてとして使用され、現在は島根県庁舎が建っている。二の丸には南櫓・中櫓・太鼓櫓が2001年までに木造で復元された。

松江城103三の丸より.jpg

③大手門跡と馬溜を二の丸上の段から撮影。左が大手門(櫓門)跡、大手門前の枡形が馬溜、お城まつりの門があるところが大手木戸口跡。松江市では大手門復元のため資料を懸賞付きで募集中。

松江城119馬溜.jpg

④二の丸下の段(外曲輪)から中曲輪・本丸東側石垣を撮影。中曲輪石垣は野面積のようだ。中央の突出部は本丸南東隅の武具櫓跡。右の天守は木立に隠れてしまう。もう少し伐採してもよいのでは。

松江城112二の丸中曲輪.jpg

⑤大手門跡から階段(本坂)を上り二の丸上の段へ。階段は途中屈折して二段に分かれており、屈折部に火点とよばれる防衛陣地(銃座)がある。左上は太鼓櫓。

松江城114二の丸太鼓櫓.jpg

⑥本丸一ノ門前枡形。正面の石垣は創建時のもの(多聞櫓は公園施設)。階段を上りきって左折して三ノ門跡から二の丸上の段へ入り、右折して二ノ門跡、さらに右折し階段を上ると本丸一ノ門前枡形へ入り、左折して一ノ門から本丸へ入る。なお、現在の長屋門形式の一ノ門は1955年に公園施設として造られたもので、本来はもっと手前側(櫓門か?)にあった。

松江城123本丸南多聞櫓.jpg

⑦天守南面。2階ずつ交互に通柱を組む特徴的な構造を持つこと、天守完成に伴う1611年正月の祈祷札が再発見されたことなどから、2015年に国宝に指定された。国宝指定範囲には、四重五階(張出型千鳥破風は屋根数=重に数えない)、地下一階付、南面付櫓のほか、祈祷札等も含まれる。

松江城148天守南.jpg

天守は江戸時代を通じて何度も修理されており、創建時と現在では外観は異なっているようだ。正保城絵図の天守南面(全体五重)では、二重目に比翼千鳥破風(現在はない)、三重目に千鳥破風(現在は張出型千鳥破風)となっている。

国立公文書館デジタルアーカイブより:正保城絵図(正保元年=1644年に幕府が諸藩に命じて作成させた城下町の地図)から松江城天守部分。創建時の天守の姿に近いのでは。

正保城絵図より.jpg

⑧天守西面。正保城絵図天守東面を西面と同じとすると、一重目に比翼千鳥破風(現在はない)、二重目に千鳥破風(現在は入母屋破風)、四重目に軒唐破風(現在はない)。創建時は破風飾りが多く派手だったようだ。

松江城158天守西.jpg

⑨水ノ手門跡。近年の石垣修理(積直し)できれいになっている。本丸北ノ門跡から出て、腰曲輪南の水ノ手門跡から中曲輪、二の丸下の段へ下りる。

松江城162水ノ手門.jpg

⑩脇虎口之門跡(二の丸下の段の北東虎口)と北惣門橋。枡形虎口だが、外側に櫓門があった。北惣門橋を渡り、松江歴史館で休憩。

松江城170北惣門橋 (2).jpg

⑪内堀北端(内側には城山稲荷神社がある)。内堀に沿って北西に歩き、小泉八雲旧宅・同記念館のあたりが内堀の北端である。築城前は城山の亀田山と尾根続きになっていたところを切り崩して堀を掘った(掘った土は低湿地帯の土地造成に使用)とのことだが、現状の姿からは想像できないような大工事だったようだ。

松江城173北端.jpg

翌日は月山富田城へ。



nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行

津和野城 2019.11.17 [島根県]

津和野城を訪れるため羽田空港から萩・石見空港(益田市)に着いたのは、2019年11月17日(日)12時15分のこと。空港からは乗合タクシー(2000円)で津和野駅前に13時15分頃到着(所要時間40分程度)。駅前の観光協会で各種パンフレットを入手、本町通り・殿町通りを経て大橋を渡り、津和野川沿いに南方向へ歩いて行くと幸橋のたもとに馬場先櫓が見える。

①馬場先櫓。山城東下の津和野川西岸に亀井氏時代の藩主邸宅・政庁(御屋敷)があった(1625年に火災で焼失した殿町から移転)。御屋敷は1853年の大火後に1856年に再建されたが、明治維新後大半が解体され、現在は、津和野高校校舎・グラウンド・公園等になっており、馬場先櫓(厩番詰所)・物見櫓が遺構として残っている。

津和野城005馬場先櫓.jpg

②物見櫓。明治維新後は学校として利用されたようだが、大正時代の道路建設により現在地(嘉楽園)に移設された。なお、嘉楽園はかつての藩庭跡だが、訪問時はゲートボール会場となっていた。

津和野城012物見櫓.jpg

③観光リフト。山城へ登るには、観光リフト・大手登城路・中国自然歩道の3ルートがあるが、観光リフト(往復700円)を選択。上りは良いが、下りはちょっと怖い(高所恐怖症のかたは無理)。なお、日本100名城スタンプはこの乗場にある。

津和野城017リフト.jpg

④出丸(織部丸)。山城は中世に吉見氏が南北の尾根に沿って細長く築城(三本松城)したもので、北端は出丸(織部丸)として関ヶ原の戦い後に藩主となった坂崎直盛が高石垣造りに改造し二重櫓等を設置していた。現在、2020年3月末まで石垣修理工事実施中のため、出丸部分には立ち入ることはできない。出丸の横を通り過ぎ南方向へしばらく歩くと本城部分に着く。

津和野城023出丸.jpg

⑤東門跡。本城部分に入る玄関口。現在、工事中(石垣修理工事か)のため仮設道路が設置されているが、本来は次に三段櫓の最下段の櫓門跡を通ることになる。本城部分は、坂崎直盛が近世城郭(高石垣・天守等)に改造したもの。

津和野城028東門.jpg

⑥三段櫓跡。かつては三段(画面右側)の各石垣上に二階櫓が建っていた。最下段は櫓門だったと思われる。
津和野城132三段櫓跡.jpg
⑦右方向(西)に登って行くと三の丸西エリア(台所櫓跡・海老櫓跡など)に出る。天守台から三の丸西エリアを撮影。

津和野城047天守台より三の丸西.jpg

⑧三の丸西エリアから天守台へ登る。天守台を三の丸西エリアから撮影。天守建物(三重天守とされる)は1686年の落雷のため焼失。天守建物があったとしても城山の西側にあるので津和野の町からは見えなかったと思う(地形的制約でここに設置か?)。

津和野城043三の丸西から天守台.jpg

⑨天守台から三十間台(本丸)へ登る。標高362m、麓からの標高差は約200mの霊亀山山頂。三十間台の南端から手前の人質櫓台と下の三の丸南エリアを撮影。

津和野城053三十間台から南方向.jpg

⑩三十間台の北側の虎口(出入口)から太鼓丸(二の丸)に下りる。さらに、太鼓丸から天守台を経由して三の丸南エリアに向かう。途中、太鼓丸石垣を撮影(石垣崩落箇所がありこれ以上近づけない)、人質櫓台と並ぶ高石垣である。

津和野城063太鼓丸石垣.jpg

⑪三の丸南エリアから人質櫓台・三十間台を撮影。手前の人質櫓台石垣は約12mの高さ。

津和野城064人質櫓台.jpg

⑫三の丸南門跡を下から撮影。南門の先は急な下り坂となっている。この先に進むと中世の津和野城(三本松城)の遺構(南出丸・中荒城)があるが、山林道で熊よけの鈴が必要とされるため引き返す。

津和野城069南門.jpg

山城滞在は約1時間(14時17分~15時30分)、観光リフトで下山。観光リフトの運行は16時30分で終了、冬季(12月~2月)の平日は運休。

石垣修理工事中の出丸部分のほか、東門跡のうしろ、そして東門跡から太鼓丸への通路の一部が石垣崩落で残念ながら通行できない状態。

あとは町歩きだが、城関係では、郷土館に津和野城の復元模型がある。明治維新後の建物解体時の絵図を元にしたものと思われる(絵図には焼失した天守や人質櫓は描かれていないが)。また、津和野町日本遺産センターの「津和野今昔~百景図を歩く」の津和野百景図(栗本格斎)のなかに、第一図「三本松城」、第二図「三本松城出丸」等の景観描写(記憶を元に描いたのだろうか)があり興味深い。

津和野駅18時15分発、JRスーパーおき6号で宿泊地の益田市に向かった。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行

月山富田城 2017.4.2 [島根県]

戦国時代、山陰・山陽11ヵ国を制した尼子氏の本拠地である月山富田城を訪れたのは、2017年4月2日(日)のこと。松江城を訪れた翌日、松江駅発7時58分のJRスーパーまつかぜ4号で安来駅8時14分着。まず、足立美術館に専用バス(安来駅8時50分発→美術館9時10分着)で短時間ながら立ち寄る。足立美術館は日本庭園と横山大観をはじめとする日本画コレクションで有名(観光バス客が多い)。ここから月山富田城へは、安来市広域生活バス(イエローバス)を利用(200円/回)し、美術館前(前というより脇)10時47分→11時1分月山入口(乗客は私一人)。バス停の月山入口には、安来市立歴史資料館(直近の情報では月山富田城復元ジオラマが展示されている)と広瀬絣センターがある。ちょうどその日は「ひな流し」イベントが近くの河川敷で開催中で賑わっていた。登城路は、「お子守口」ルートで、坂道を登り、中腹に配置されている千畳敷→太鼓壇→花の壇という曲輪を通って行く。

①花の壇から撮影した月山富田城山頂部。

月山富田城002花の壇 (3).jpg

安来市では月山富田城整備を2015年度~2019年度に実施されており、山頂部の樹木が伐採され眺望が良くなっている。城は、1566年に尼子氏が滅びた後、吉川広家が改修、1600年関ヶ原の戦い後、堀尾吉春・忠氏が城主となり改修したが1611年に松江城に移り廃城となった。

②山中御殿(さんちゅうごてん)。花の壇から堀切を越えて進んで行くと山中御殿という曲輪に達する。山頂へ通じる七曲りの麓にあり、居館として使われていた曲輪。残っている石垣は堀尾氏時代のものとされる。

月山富田城004山中御殿成 (3).jpg

③山中御殿の「菅谷口」ルート入口。山中御殿北側の入口で、石垣の残存状態は良い。堀尾氏時代のものとされる。

月山富田城006山中御殿東側 (2).jpg

④山頂への登り道「七曲り」。かなりの急勾配だが、高齢者の方も結構登られていた。下の平地が山中御殿。

月山富田城011七曲り (2).jpg

⑤山頂部の北西端にある三の丸。山頂部に三の丸・二の丸・本丸が南東方向へ細長く連なる。

月山富田城014三の丸 (3).jpg

⑥三の丸の奥にある二の丸を本丸側から撮影。二の丸と本丸の間は大きな堀切で切り離されている。

月山富田城016二の丸 (2).jpg

⑦二の丸から本丸を撮影。本丸の奥に勝日高守(かつひたかもり)神社がある。

月山富田城017本丸 (3).jpg

帰りもイエローバスを利用(私以外の乗客は地元の方々だったと思う)、月山入口13時9分→安来駅14時。特急やくも11号で松江駅へ、出雲空港から帰途についた(月山富田城メインならば米子空港の方が近い)。

月山富田城滞在は2時間8分、規模が大きいので各所を見て回る時間は足りなかった。月山富田城の特徴は、中腹の比較的広い曲輪群と山頂部の曲輪群(詰城)に分かれていること、残っている石垣は吉川氏・堀尾氏時代のものとされる(尼子氏時代のものは土塁なのだろうか)こと。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行
島根県 ブログトップ