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美濃金山城(2) 2024.1.30 [岐阜県]

美濃金山城跡の本丸南東斜面を進みます。
発掘調査によって掘り出された本丸南東斜面石垣。表面が比較的きれいに整えられているようです。
美濃金山城171本丸南東面.jpg
本丸南東端の枡形虎口。枡形内を左折する構造です。
美濃金山城174本丸虎口.jpg
かつては枡形を建物の穴蔵部分と見なして、北側にあったと想定される天守に連結する小天守があったと考えられていました(『史蹟美濃金山城址』(1973年)、戦国山城ミュージアム展示の復元ジオラマ)が、現在の復元イメージは可児市観光交流館に展示されている可児工業高校建築工学科制作の主郭復元ジオラマのようになっています。
ジオラマ102.jpg
本丸東端の天守があったと想定されるエリア。
美濃金山城177本丸虎口.jpg
南側石垣下に四つの礎石があり、建物の張出部分を支える礎石(懸け造りの礎石)と考えられています(可児工業高校の主郭復元ジオラマのイメージ)。天守については、主郭発掘調査報告書(20213月)によると、「内面方向に面を向けた石塁が検出され、半地下式の天守台であろうと見られたのであるが遺構面からは天守に伴う礎石や柱穴が検出されず、天守の存在を決定付けることは出来なかった。」とまとめられています。
本丸西方向。川原石を礎石とする建物跡が確認されおり、御殿跡と考えられています。
美濃金山城182本丸西.jpg
本丸西端からの眺望。蛇行している木曽川の流れが見えます。
美濃金山城185西方向.jpg
本丸から出て東側の東腰曲輪へ。
東腰曲輪の枡形遺構。井戸跡と伝わる本丸東石垣下を発掘、堆積物を取り除くと枡形の遺構が検出されました。雨水をためる集水枡のような用途と考えられています。現在は埋め戻されて地表面に石列を組んでいるようです。
美濃金山城195東腰曲輪.jpg
下山は、「搦手道」と呼ばれている急登の遊歩道を下り、途中、左折して緩やかな坂道を下って米蔵跡へ至るルートです。
搦手道。急登ですがきれいに整備されています。左折した緩やかな坂道もきれいに整備されており、しばらく歩くと米蔵跡の芝生ひろばに到着(15分くらいで下山)。
美濃金山城199搦手道.jpg
米蔵跡北面石垣。石垣は美濃金山城が機能していた時期のものと考えられています。米蔵跡というのは、江戸時代に年貢米を貯蔵する米蔵があったと伝えられているためです。近代には製氷池として使われていたそうです。
米蔵103.jpg
このあと、可児市観光交流館で休憩、帰りのバス(城戸口バス停の位置は行きと帰りで通りが異なっています)を待って帰途につきました。



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