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新宮城 2023.2.28 [和歌山県]

紀伊半島海岸沿いの城めぐりの続きです。和歌山駅から3時間10分で新宮駅に到着。新宮で一泊した早朝、熊野川河口南の丘陵(地理院地図標高47m)にある新宮城跡を訪れる。
①道路から鐘ノ丸南面石垣を見上げる。
新宮城102鐘ノ丸南面.jpg
②西側の公園入口を通り過ぎた所(保育園)にあるのが二ノ丸石垣。二ノ丸には上屋敷(藩の政庁)があったようだ。
新宮城105二ノ丸石垣.jpg
大手門跡はこの裏手だが通行できないようなので、公園入口から入ると、途中から大手道につながる。
③大手道。道の右側には土塀が築かれていた。
新宮城109大手道.jpg
ここを登ると枡形虎口の松ノ丸西門跡に至る。
④松ノ丸西門跡。松ノ丸は城山の北西側の曲輪で、熊野川の眺望が開ける。
新宮城110松ノ丸西門跡.jpg
松ノ丸の東側から熊野川に面する水ノ手曲輪に下る。
⑤水ノ手曲輪。舟入(船着場)跡で、石垣は洪水に備えて築かれた。また、発掘調査の結果、藩専売品の備長炭の炭納屋(倉庫)が建てられていたことが分かった。
新宮城118水ノ手曲輪.jpg
⑥松ノ丸に戻って南進し枡形虎口から鐘ノ丸へ入る。
新宮城123鐘ノ丸櫓門跡2.jpg
鐘ノ丸には戦後の一時期に高級旅館「二の丸」があったという。鐘ノ丸を東進、本丸南面の天守台石垣を見に行く。
⑦天守台石垣。南西面は崩落しているが、南東側はきれいに残っている。
新宮城144天守台南東面.jpg
⑧西側の本丸枡形虎口から本丸へ入る。
新宮城134本丸櫓門跡.jpg
⑨本丸北西に突き出ているのが出丸(立入できない)。熊野川の船の往来を監視するためだろうか。
新宮城135出丸.jpg
⑩本丸北東にある搦手門跡。高級な化粧石垣を用いているとされるが、誰も通らない所になぜ?
新宮城138搦手門跡.jpg
本丸南の天守台崩落跡の小道を下り、さらに、かつての旅館への入口だったと思われる坂を下って東側公園入口から出る。このあと、「100年名家」で紹介された旧チャップマン邸と旧西村家住宅の外観を見て(内部見学は9時から)、新宮駅前の新宮市観光協会で新宮城の冊子と散策マップ(2種類)を入手。朝の特急南紀4号で熊野市駅へ向かう。
[メモ]新宮城は、1600年に浅野幸長が紀伊国支配となった際に重臣の浅野忠吉が新宮領主として1601年から築城した。1619年に徳川頼宣が紀州藩主となると付家老として水野重仲が新宮藩主となり城を改修、その後も地震被害発生のたびに修復され、現在残る石垣のほとんどは水野氏藩主時代の打込み接ぎと切込み接ぎとなっている。建物は失われたが、2003年に国史跡に指定されている。ところで、正保城絵図には石垣と土塀は描かれているが、不思議なことに天守・櫓は描かれておらず、門も高麗門だけで櫓門は描かれていない(現存する正保城絵図のなかでは唯一の例外)。ただし、近隣の神社建物は描かれている。理由は何だろうか。



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