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下津井城 2022.5.4 [岡山県]

岡山への帰省中の202254日、下津井城を訪れる。JR瀬戸大橋線で岡山駅1037分発→児島駅1115分着、下電バスの下津井循環線で児島駅1130分発→下津井城跡入口1146分着(実際は50分過ぎ)。
①南麓から見上げる城山。
下津井城139麓から.jpg
下津井城は、岡山藩の支城として池田長政(輝政の弟)が16041606年に現在残る石垣造りの近世城郭に改造したが、1615年以降は廃城となり破却された。現在は岡山県史跡となっている。
自動車道路を10分ほど登って行き頂上近くで右折して遊歩道を東方向に進むと石垣が見えてくる。

②縄張り略図と今回の歩行ルート(オレンジ色)。下津井港を臨む丘陵(標高89m)の尾根に沿って西から東へ西の丸・二の丸(本丸の南半分を囲む)・本丸・三の丸・中の出丸・東の出丸と曲輪が連なっている。
下津井城略図.jpg
③二の丸南石垣。隅角部の石垣は崩されている。画面左に大手虎口があるはずだが草木が繁茂してよく分からない(冬場でないと無理)。
下津井城101二の丸南下石垣.jpg
④三の丸南石垣。残存状態が良好。現状残っているのは5mくらいだが、本来はもっと高かったようだ。
下津井城104三の丸南下石垣.jpg
中の出丸を廻った後、三の丸へ(東の出丸は遠いので割愛)。
⑤三の丸から二の丸東側への通路。画面右(北側)に石塁が残る。用途は何だろうか?
下津井城110三の丸から二の丸へ.jpg
石段を登り本丸へ。
⑥本丸天守台。本丸の北西隅に天守台とされる石垣が残る。石垣の規模は小さいが、慶長年間の備前国図には5層の建物が描かれている(5層は現実的とは思えないが、天守があるという意味だろうか)。
下津井城116天守台.jpg
本丸の発掘調査では唐津焼や土師器皿などが出土、本丸や二の丸では岡山城跡と同笵の瓦が出土している。石段を降りて二の丸西側へ。
⑦二の丸西側の石塁。多聞櫓台だろうか?
下津井城122二の丸西側石塁.jpg
⑧二の丸から西の丸への土橋。
下津井城126西の丸から二の丸.jpg
⑨西の丸からの瀬戸内海の眺め。海上交通監視の適地なので支城として整備したのだろう。
下津井城130西の丸から瀬戸内海.jpg
⑩西の丸北石垣。5月初旬になると草木が繁茂して遺構が見えにくい。山城はやはり冬場に限ると思ってしまう。
下津井城133西の丸北面.jpg
1時間に1本の循環バスに間に合うよう下山し、1246分発(実際は50分過ぎ)のバスで帰路についた。なお、本記事の解説内容はWebで公開されている『岡山県中世城館跡総合調査報告書第1冊-備前編-』(岡山県古代吉備文化財センター編、2020年発行)によりました。



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