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府内城 2022.5.23 [大分県]

2022523日(月)の早朝、大分市内のホテルから歩いて府内城へ向かう。大分市ウェブサイトには「PCR用検体採取場設置のため大分城址公園の内苑(お堀の内側)が利用できません。散策等での通り抜けもできませんのでご注意ください。」とあり、外周から見るだけと思っていたが、訪問時には入れるようになっていた。
内堀内の縄張り略図と今回の歩行ルート(オレンジ色)。まず、西南隅から。
府内城縄張略図.jpg
①西南隅からの景観。左から西之丸西南隅櫓、出合曲輪宗門櫓、同大手口多聞櫓、東之丸着到櫓が並ぶ定番の撮影スポット。
府内城101西之丸西南隅.jpg
宗門櫓は1859年に再建された現存建物、他は1945年の空襲で焼失し1966年に外観復元されたもの。なお、内堀の石垣裾部の犬走りは近代以降に整備されたもの。
時計回りに西側から北側へ。
②北側の廊下橋。西之丸と北之丸(中里丸)を結ぶ廊下橋で1996年に再建された。
府内城105廊下橋.jpg
廊下橋を渡り西之丸北枡形虎口へ。
③西之丸北枡形虎口を内側から撮影。右端は本丸への土橋跡。
府内城108廊下橋.jpg
本丸へは内々堀の土橋を渡り本丸(天守丸)西枡形虎口から入るルートだったが、土橋の遺構が残るのみ。本丸と西之丸・東之丸の間にあった内々堀は大正時代の県庁舎建設にあたり埋め立てられた。
④天守台石垣。野面積みで隅角部は大石を用いた算木積み。
府内城111天守台.jpg
この上に4層の天守が1602年に築かれたが、1743年に焼失。天守は櫓・櫓門と連結して方形に囲んだ天守丸を構成していたが、大正時代に北側の石垣を除き撤去・整地された。
内堀外周に戻って北側から東側へ。
⑤本丸人質櫓。1861年に再建された現存建物で天守北側の突出部に位置する。
府内城114人質櫓.jpg
⑥東之丸南東隅。中央突出部は福原氏が築いた三階櫓跡の石垣、左・右(南・北)の櫓は模擬櫓として1966年に建設されたもの。
府内城119東之丸東面.jpg
東側から南側へ。
⑦大手口。大手口も廊下橋が架かっていたが、現在は土橋となっている。
府内城122大手口.jpg
このあと大分駅824分発のJR豊肥本線で竹田市へ向かう。
[メモ]府内城は、ポスト大友で豊後に乗り込んできた豊臣家臣団のうち福原直高が1597年に大分川河口近くに築き始めた平城で、関ヶ原合戦後に入った竹中重利が城下町を含めて1608年までに完成させた。明治になって廃城後、中堀・外堀は埋め立てられて市街地化し、内堀内には県庁舎が置かれていたが、1962年県庁舎移転後に公園として整備され県史跡に指定された。近世平城らしい縄張りだが、内々堀や天守丸の遺構が少ないのが残念。なお、本記事の解説内容は大分市「大分城址公園整備・活用基本計画」(20172月)によりました。


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