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岩村城 2021.11.20 [岐阜県]

六段石垣で有名な岩村城を訪れる。20211120日(土)、JR中央本線恵那駅で下車、明知鉄道に乗換え恵那駅発1225分→岩村駅着1254分(予約席の食堂車2両を連結した急行)。駅前は標高499m、城跡頂上は717mなので比高218mを登ることになる。南東方向に続く岩村町本通り(商家町として重要伝統的建造物群保存地区に選定)をしばらく歩く。
①岩村町本通りから城山を望む。
岩村城102城下町.jpg

常夜灯を左折し岩村川を渡って麓の藩主邸跡へ。
②藩主邸跡。このあたりの標高は560m。現在の建物群(太鼓櫓・表御門など)は、絵図などにもとづき1990年に木造で建てられたもの。なお、敷地内にある藩校の知新館正門は移築されたもの。
岩村城107藩主邸.jpg
ここからが本格的な登りとなる。石畳で整備された登城路を登って行き左折したところが一の門跡。
③一の門跡。絵図によると櫓門があり、登城路の左右には武家屋敷が構えられていた。
岩村城121一の門跡.jpg
次の関門が土岐門跡。
④土岐門跡。こちらは薬医門形式で城下の徳祥寺に山門として移築されている。
岩村城123土岐門跡.jpg
右折して次の関門の畳橋・追手門跡へ。
⑤畳橋・追手門跡を堀底道から撮影。画面左の石垣から右の石垣(三重櫓台跡)方向へ架かっていた橋が畳橋で、左折したところに枡形虎口の追手門があったが、枡形虎口の痕跡を見つけるのは難しい。
岩村城125畳橋跡.jpg
左右に石垣が続く大手道を進む。
⑥大手道。左右の石垣上には武家屋敷があった(左側は八幡曲輪)。この先の右側に霧ヶ井がある。
岩村城129大手道.jpg
⑦二の丸北東隅(菱櫓台付近)。現在は樹木が生い茂り石垣は土と苔に覆われてほとんど見えなくなっているが、中井均さんの「昭和40年代の城跡を行く」(「カメラが撮らえた古写真で見る日本の名城」所収)によると、植林を始めたころ(1973年)の二の丸は累々とした石垣がみごとな景観だった。
岩村城138二の丸菱櫓跡.jpg
この先が有名な六段石垣。
⑧本丸北東面の六段石垣。背面の高石垣の崩落防止のため江戸時代後半に築かれたものとされる。画面右側最上部の石垣は野面積みだが、全体としては切石を斜めに積む江戸時代後半以降の技法である谷積み(落し積み)になっているようだ。
岩村城142本丸六段石垣.jpg
本丸へは二の丸からのルートと東曲輪からのルートがあるが、まずは東曲輪ルート。
⑨東曲輪への登り口。登ったところに櫓門があった。
岩村城150東曲輪への登り.jpg
東曲輪から本丸へ。
⑩本丸東虎口を東曲輪から撮影。右に折り返して長局(ながつぼね)埋門から長局曲輪に入り、左に進むと枡形虎口の本丸東口門へ、右に進むと本丸北柵門へ、という風に凝った造りとなっている。
岩村城155本丸東虎口.jpg
⑪本丸東口門跡。枡形虎口を左折し本丸へ入る(駅から歩いてちょうど1時間後)。
岩村城159本丸東口門跡.jpg
本丸西側から帯曲輪に下りる(このルートは出丸駐車場からの登城路となっている)。
⑫本丸西面石垣。この石垣は本丸南面の途中まで続いている。
岩村城169本丸西側 (2).jpg
本丸北西下の二の丸不明門跡から二の丸に入り、二の丸から本丸北虎口の埋門跡へ。
⑬本丸北埋門跡。櫓門があった。画面右側の石垣は野面積みで城内最古とされるもの。
岩村城179本丸北虎口.jpg
埋門から帯曲輪に入り左折すると手前に本丸北枡形虎口、奥に本丸北柵門へ、という風にこちらも凝った造りとなっている。
⑭狭いコの字型になっている本丸北枡形虎口。
岩村城180本丸北虎口.jpg
二の丸に戻り、痕跡の分かりにくい二の丸門跡から大手道へ出て下山。岩村歴史資料館に立ち寄って2種類の絵図を購入。岩村駅1537分発の明知鉄道に乗り帰路についた。岩村城は岩村遠山氏の居城として築かれたが、戦国時代には武田氏・織田氏の攻防の舞台となり、長篠合戦後は織豊系大名が城主となり近世城郭への改造が行われた可能性もあるが、現存する最古の石垣(本丸北側)は1601年に城主となった松平家乗によって築かれたものと考えられ、それ以外の石垣は江戸時代中~後期に積み直されたものとされる(「岩村城跡基礎調査報告書2」より)。現在、岩村城跡は岐阜県史跡に指定されている(国指定ではない理由は何だろうか)。


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